創作でウェルビーイングを達成する
何かを創ること・それを誰かに伝えること・他の人のアイデアから何かを得ること、この循環がウェルビーイングの一つのカタチだと感じた話。
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ウェルビーイングとは
最近ウェルビーイングが気になっている。OECDのアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長の講演で紹介された "The OECD Learning Compass 2030" という概念がキッカケである。
The Learning Compass 2030 defines the knowledge, skills, attitudes and values that learners need to fulfil their potential and contribute to the well-being of their communities and the planet.
"contribute to the well-being" とあるように、彼らが示す教育の目的の一つが、このウェルビーイングの達成であると思われる。
ちょうどWiredのバックナンバーがデジタル・ウェルビーイングを特集していたので調べてみた。そこで気になった記事が2つほど。
まず水口哲也氏。
彼はフローやゾーンな状態がウェルビーイングであると言っている。修行僧の断食や、おそらく瞑想状態なども含まれるかもしれない。よく言うスポーツ選手などが極限にまで集中して周囲のスピードが遅くなったり普段見えないものが見えてきたり、という状態。何かに集中している状態が、その人にとって不幸である、というケースは稀だろう。
また、YUKIHIRO MARU 氏。彼の記事はオンライン掲載がないので自分が得た示唆のみになる。
人が数字をコレクションするのは「お金」に換算できるから。また人のドーパミンが出るスイッチは何かしらお金=数字につながっている。現在は普通に働くだけでは数字とのつながりが見えづらくドーパミンが出る瞬間が薄れてきている。よって、これまでのモノサシ(お金や数字)以外で幸福を味わえる(ドーパミンが出る)方法を模索する必要がある。といったもの。
この2つの主張から考えたのは、今はウェルビーイングを実現しづらくなってきていること。それは環境の変化かもしれないし、人の心の在りようの変化かもしれない。
何がウェルビーイングを実現させるか?
少し話は変わるが、先日主催している「まなびとデザイン」というイベントを開催してきた。いつも企画側のコダワリで、講義形式の勉強会でなくワークショップ主体のイベントにしている。今回はとあるインターネットサービスを子供向けにデザインしなおしてみよう、という仕立てだった。
個人ワークに入ると場がしんと静まり返る。紙にペンを走らせる人・とりあえず付箋にアイデアを書き連ねていくひと・とりあえず枠だけ書いてアタマを悩ませる人・何もせず腕を組んでいる人... 3回目の開催になるが、個人ワークの時間にこれまで静まり返ったケースはおそらく初めて。見ている運営側は「ワークの主旨が伝わってないかな」とか「お題が難しすぎたかな」とか「ちょっと期待はずれの内容だったかな」とかいろいろ不安になる。
ところが、静かなまま20分ほど過ぎ、自分のアイデアを共有する時間になると、ワッと場が沸騰した。書いたアイデアを隣の人に熱心に話し、それを同じく熱心に耳を傾ける人。他の人のアイデアから何かに気づいたような瞬間も見ることができた。触発された人は、自分のアイデアに更に何かを付け足していく。
その様子を見ながら、この変化はなんだろうと考えた。おそらく、自分が不安に思っていた時間にも取り組んでいる人たちの中に熱はあり、ただそれが見えなかっただけ。ワーク=集中、共有=(他の人を聞いて言える間は)リラックス、のようにモードが入れ替わり立ち替わり動いているのだと思った。
クリエイティブはウェルビーイングを実現させる
これは、まさに先述記事に書いてあった「ゾーンやフローの状態」であり、それを実現した、つまり人々のドーパミンを促したのは「何かを創る」という行為なのだな、と結論づけた。つまり、クリエイティブはウェルビーイングに繋がる。ここでいう「クリエイティブ」には創るだけでなく他者に晒してフィードバックを得ること、他者の創ったものを見て何かに気づくこと、その両者の行為が含まれている。
もちろん、教育やデザインに興味を持って自ら会場に足を運んだ人たちの、しかもわずか30人程度の場での出来事なので、これに再現性や理論性も無いし、ましてや体系的に何か言えるわけではない。しかし、何かヒントを得たような気がしているので、忘れないうちにここに書き残しておく。
Photo by Dawid Zawiła on Unsplash