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『インターステラー』より|『穏やかな夜に身を任せるな』原文と和訳/当詩が使用された真意を探る

『インターステラー』はタイトル通り「惑星間の」移住を舞台にした作品だ。大規模災害により壊滅的な被害を被った地球から移住先の惑星を探すため、元敏腕パイロットが未知の宇宙へと飛び立つ。劇中では宇宙空間における物理現象、人間同士の絆や連帯、裏切りなども描かれ、物理学や社会心理学など学問的な観点を含め非常に深く楽しめる。その中でも、文学を通してこの作品を掘り下げると新たな発見があることに気づく。

│ 「穏やかな夜に身を任せるな」 

劇中で何度も繰り返し朗読される詩『Do not go gentle into that good night』。ウェールズの詩人であり作家のディラン・トマスによって1951年に発表されたこの詩は、彼の最も有名な作品のひとつだ。

映画や小説などのエンターテインメントにおいて、同じ台詞や一説が何度も登場するのは重要なメッセージ性があるものと考えられる。本作もそのアプローチのひとつとして『Do not go gentle into that good night』が使われているが、この詩を通して観客に何を伝えたかったのだろうか。そしてなぜこの詩でなければならなかったのか。その真意をまずは原文と和訳から紐解いていく。括弧内の和訳は映画字幕により近づけた訳だ。

Do not go gentle into that good night,
(穏やかな夜に身を任せるな。)

Old age should burn and rave at close of day;
(老いたならば、暮れゆく日に燃え上がり、怒るべきだ。)

Rage, rage against the dying of the light.
(消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)

Though wise men at their end know dark is right, Because their words had forked no lightning they Do not go gentle into that good night.
(最期を迎える賢者たちは、暗闇こそが正しいと知っている。彼らの言葉はまだ稲妻を発していないから、彼らは穏やかな夜に身を任せたりはしない。)

Good men, the last wave by, crying how bright Their frail deeds might have danced in a green bay, Rage, rage against the dying of the light.
(善人たちは、最後の波と共に、彼らの儚き偉業が緑なす湾でどれほど明るく躍動したかを嘆く。消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)

Wild men who caught and sang the sun in flight, And learn, too late, they grieved it on its way, Do not go gentle into that good night.
(荒ぶる者たちは、逃げ行く太陽を捕まえ歌う。そして学ぶ、遅すぎたと、逃げ行く太陽に悲観するのだ。穏やかな夜に身を任せるな。)

Grave men, near death, who see with blinding sight Blind eyes could blaze like meteors and be gay, Rage, rage against the dying of the light.
(死に瀕した者たちは、目が見えずとも、その盲目の目は流星のように輝き、朗らかでいられる。消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)

And you, my father, there on the sad height, Curse, bless, me now with your fierce tears, I pray.
(そしてあなた、悲しみの絶頂にいる私の父よ。私は祈る。あなたの激しい涙で、呪え、祝福しろ、と。)

Do not go gentle into that good night.
(穏やかな夜に身を任せるな。)

Rage, rage against the dying of the light.
(消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)

本詩は死に瀕した父親に子どもが寄り添い、祈る様子が書かれている。
「消えゆく光」「穏やかな夜」「暮れゆく日」「最後の波」はいずれも死を象徴しており、端的に言えば「死を受け入れず抗え(=生きろ)」と訴えかける詩である。「彼らの言葉はまだ稲妻を発していない」は「まだやり残したことがある」といった意味合いで、「逃げ行く太陽に悲観する」は「間近にある死に悲観する」と同義である。

文頭から文末まで追っていくと、あるコンテクストに気がつく。Good men>Wild men>Grave men>my fatherと、大きな括りから徐々に範囲を狭めて個人が特定されているのだ。つまり「善人であり、荒ぶる者(=行動力がある者)であり、死に瀕した、私の父親」という文脈だ。終盤の「あなたの激しい涙で、呪え、祝福しろ」は「どんな言葉でも構わないから私に声をかけてくれ」という子どもの祈りそのものを意味している。

上記を踏まえて『インターステラー』のクーパーに当てはめてみると、いくつかの興味深い共通点が見い出せる。クーパーはミラーの星でマン博士に裏切られヘルメットを割られて殺されかけるが、このときのクーパーと当詩に登場する父親が酷似しているのだ。前述の「善人で、行動力があり、死に瀕した父親」や「盲目」という点もリンクする。
マン博士の頭突きによって割れたクーパーのヘルメット内には大気中の高濃度アンモニアが一気に入り込んだ。アンモニアは、目、鼻腔、口腔内など粘膜に強い刺激を与える有毒物質で、吸入するとアレルギーや喘息、呼吸困難を起こしたり、濃度によっては失明の恐れもある劇薬である。目を開けていると結膜や粘膜が炎症を起こしてしまうため、クーパーは目をほとんど開けていられなかったと考えられる。(当該シーンの直後ではクーパーの目が赤く充血している。)詩の中の死に瀕した盲目の者とは、まさにクーパーのことなのだ。

マン博士が「試された」ようにクーパーもまた彼によって試される形となった。だが皮肉にもマン博士が朗読した詩の「死に立ち向かえ」という反抗的なメッセージ性によって、むしろクーパーの生への渇望を奮起させたのかもしれない。