最期

カランコロンと軽い音を立てて客のいないバーのドアが開く。
「久しぶりマスター。」
そう言って迷いなくカウンター席に腰をかける男の風貌は、碌に手入れもされていないのであろうパサついた髪の毛にだらしなく生える無精髭という、この店の空気になんとも似つかわしくないものだった。しかし、カウンターの奥で目を伏せグラスを磨いていたマスターは、穏やかな笑顔でその男を迎え入れた。
「ようこそ、伊藤さま。ずっとお待ちしておりましたよ。」
「いやー、もうどこもかしこも店なんか空いてないしさぁ、ここまで来るのだってひと苦労だったよ。でもここならきっと空いてると思ったんだよな。なんでだろうな。」
注意深く見れば、男の服はそこかしこが破れ、ほつれている。体にもそのボロきれのような服と同じく、古いものからさっき付けられたようなものまであちこちに傷がある。そんな男の様子には触れず、マスターが黙ってカウンターにグラスを置き、ハイボールを注ぐ。
「ああ。さすがマスター、覚えててくれたんだな。」
「もちろんです。伊藤さまはいつもこれを最初にご注文される。」
男はグラスいっぱいに注がれたハイボールを一気に半分飲み干す。そして、頬杖をついて店の中を見回した。その目は店の中を見ているようで、どこか遠くの得体の知れない巨大な何かを見つめているようでもあった。
「ここはいつも静かだよな。外がどんなにうるさくて嫌になってもここに来れば全部どうでも良くなっちまう。世間はこんな騒ぎだけど、大丈夫だったのか。」
「こんなところにある店を見つけてくださるのは伊藤さまだけです、と言いたいところですが、実は数日前にここにも人が来ましてね。グラスやボトルがいくつか割れてしまいまして。彼らが持っていってしまったものもあります。」
「そうかい。あんたも大変だったな。」
そう言うと、店の中には静寂が満ちた。それはまるで、外の世界の喧騒から逃げ出してこの小さな店内に押し寄せた天使たちが、二人のことを抱きしめているようだった。男が右手の薬指でカウンターを3回叩くと、マスターは閉ざされたままの口元に笑みを浮かべ、カクテルを作りだした。その様子を見た男も、静かに笑うだけだった。
「お待たせしました。ギムレットでございます。」
この空間に言葉は要らなかった。カウンターの上に置かれたギムレットが全てだった。
ゆっくりとグラスの中身を飲み終えた男は、財布から出したお金をカウンターに置き、立ち上がった。
「ああ、飲み終わっちまったな。行くしかないみたいだ。」
「そうですね。ありがとうございました、伊藤さま。あなたを見送ったなら、この店の役目も終いです。ドアは開けたままで。」
「そうか。じゃあな、マスター。」
そう言って、男は店の外へと姿を消した。開け放たれたドアから静かな店内へ、遠くの喧騒の波が流れ込んでくる。もはや人間と区別がつかなくなったAI音声によるニュースの音。
「まもなく地球に到達し、地球を壊滅させると言われる隕石が    


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