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えむきゅう キャノンボーラーへの道③

【キャノボ初チャレンジ編】


Garminを引っ提げキャノボに向け、早速ブルベにエントリー!
初ブルベの300と400と、まずはブルベ2本を経験した。
知らない道をGarminが案内してくれる感動!
レースの感覚が抜けずファストライドして2本とも出涸らしに…
そんな下手クソな走りも、己を知り、経験値を上げるには丁度良かった。

BRM400で初めて鳥取へ
BRM300.・400でファストトレーニング

過去10年以上、奈良の山岳地帯を中心に200kmや300km超えライドは数限りなく熟してきた。
7年間に渡り毎年GWと夏休みには四国の山岳地帯も走り回った。

しまなみ海道 亀老山
四国カルスト
天狗高原
UFOライン

初の400kmライドも四国で。
キャノボを意識した24時間500kmライドも敢行した。
自走ビワ2や300ブルベ自走帰宅も含め4本は500kmをこなした。
こうしてじっくりロングライドに対する耐性や走力を作り、様々な経験も積み、スキルアップを図ってきた。車体仕様もセッティングも完成の域に到達。

後、必要な準備はルートの把握のみ。
伊賀より東を一度たりとも走った事がなく土地勘が全くない。
…下見は必須だった。

そこで、GWに下見に行く事にした。

しかし、5月に入って体調を崩し発熱で3日間寝込んだ。
5/3の予定を1日ずらして5/4を決行日とした。
本来ならば声高らかにキャノボ挑戦を宣言すべきだったが、土地勘の無さと病み上がりの不安感から迷いがあった。
一方で、折角走るならば一発で決めたいとの欲もあり、激しく葛藤した。

そんな流れから、キャノボの「しきたり」も理解しながら、逃げ道をつくる『あわよくば達成』の中途半端な告知をしてしまった。
達成がそんな甘いものではない事も理解しつつ、病み上がりでも上手く走れれば、或いは24時間以内で走り切れるのではないか?と思っていたのだ。
しかし、そうツイートしたところ、キャノンボーラー諸氏より痛烈な叱咤の嵐!
まぁ、ごもっとも…仰る通りである。

キャノボは祭り!

コソッと達成したところで、ゲームとしてもネタとしても何の面白さも盛り上がりもなく、自分自身誇れるのか?と聞かれると、それは当然の事ながら否である。
勿論、世間からも評価はされない。
最早それはキャノボとは言えない。

特に鋭く刺さったのが「えむきゅうさんはそういうタイプじゃないでしょ」のnYoloさんからの一言。
これで腹が据わった。

「そこまで言われて日和ってたら漢が立たん」と変に漢気出して、声高らかに正式にチャレンジを宣言をした!途端、空気が一変!皆さんの意識が熱烈応援体制に転じた。

当の本人は、当然、特攻隊さながらの玉砕覚悟である。

結果は言わずもがな、2022年GW5月4日、初のキャノボチャレンジは見事玉砕に終わった。


5:20元標での仲間達に見送られスタート。

表情が固い?

地元ルートなので伊賀手前までは順調だったが、早々に色々不具合が出だす。
…明らかに準備不足。
明らかに調整不足。
まずは位置情報共有の手順すらままならず1時間しか設定できず1時間毎にに位置情報をアップする羽目に。

購入間なしのGarminの操作も手探りで、直ぐにリルートが発動して何度も迷走。
その度にスマホで確認する始末。
グロス表示に慣れておらず信号待ちで見る見る数字が下がる事に焦る。
体調は病み上がりの浮遊感があるものの、脚はしっかり動いた。
しかし、なまじ脚が動いた事と、焦りとが相まって、向かい風に抗い35kph超と、少々ハイペースで入り過ぎた感がある。しかも清滝峠も伊賀越えも息が上がるほどに強度を上げて登っていた。
先を急ぐあまり冷静さが欠けていたか?ナビ通り進んだつもりが工事中の砂利区間に差し掛かりそのままのペースで突入しパンク。
コレは明らかに回避できた。完全に自らの不注意。
無鉄砲な性格が災いした。

冷静なつもりだったがタイムロスを取り戻そうとやはりオーバーペース気味でグロスは24にまで迫っていた。
名古屋を越えてから漸く追い風区間に。
押される程の強い追い風に気分は上がり、ここぞとばかりに更に力が入り42kph超の巡航。グロスも24.5にまで。

強烈な追い風に押されて快走…と思いきや…


しかし名古屋辺りから気になっていた内臓の不快感が顕著に現れだす。
直前3日間発熱で寝込んだ際に解熱剤を入れていたため、明らかに胃が荒れている。
胃が受け付けるうちにと、おにぎりやパンなど固形物を早めに補給していたが、早くも厳しい状況に…

なるさんから迎撃され元気をもらうも…

浜松辺りで固形物は受け付けなくなり、早くもゼリー飲料に切り替え。
それでも相変わらず追い風に押され爆走。
そのうち疲労も出だし、掛川を過ぎた辺りから睡魔に襲われる。
ガムを噛みながら何とか凌ぐが、ガムの味で余計に気分が悪くなる。

静岡入ったあたりで遂に内臓が悲鳴を上げ出した。
そう言えば300を超えたあたりから胃が何もかも受け付けなくなり、マトモに補給できていない。
吐き気を催すも既に胃の中は空っぽで、出るものは何もない。
信号待ちの度に空嘔吐きしだす。
御殿場を越えると、走行中でもお構いなしに空嘔吐き連発。
最早水分ですら身体が拒否。
飲んでも全てを吐き出す。

R246の無限アップダウンで無限空嘔吐き。
走り続けてきた疲労に加え、体調不良と空嘔吐きの無駄なエネルギー消費で、身体は疲労困憊。
それに加え、無補給で走り続けてきた事による低血糖や脱水もあったと思われ、ついに限界が訪れた。
激しい眠気か?目眩か?とにかくフラつきが激しくなり真っ直ぐ走るのが困難に。
いつ意識が飛んでもおかしくない状況。
夜中のR246はさながら高速道路で、路側帯内を走行していても横スレスレを100kph以上のスピードで車やトラックが抜いていく。
この劣悪な走行環境の中で、一瞬でも意識が飛ぼうもんなら即命取りに。
最早ここまで。480km地点で脚を止めた。

脚はまだ十分に動いていただけに残念ではあったが、葛藤は無かった。
家族のために即断した。
無事に帰ればまた次があるが、命を落としては次どころではない。
命はあっても事故や怪我でもしようもんなら、やはりこれも次のチャレンジは許されない。
コンビニの駐車場の隅で、寒さに震えながらうずくまった。
ハナから玉砕覚悟ではあったが、やはり悔しかった。
見送ってくれた仲間、道中も夜中や明け方でも沿道に応援に来てくれた方々、Twitterで応援してくれた方々、そしてゴールで待ってくれていたてり〜さんとつぶあんこさんには申し訳なく思い、自分の弱さ、不甲斐なさに涙が溢れた。
脱水で唾液も出ないのに、何故か涙は止めどなく出た。

特に、てり〜さんとはたまたま同時期にお互い家庭をしっかり支えながら達成を目指すと言う近い境遇だったことから、親近感も強く、勝手に同志と思っていた。
彼が海外へ旅立つ前に何としても達成して初対面を果たしたかったが、それは実現できず無念でならなかった。
心配もかけて申し訳ない気持ちで一杯だった。

残り30kmチョイ残して22時間経過。
まだ2時間あったが、もう身体は動かない。
そのまま夜が明けて朝が訪れた。
2時間が経過しタイムアップ。

少し身体が楽になった。
嘔吐もおさまった。

再び走り始めた。
未だ嘗てこれほど苦しい30kmはあっただろうか?
最後まで続くアップダウンに四苦八苦しながら、ズタボロになって日本橋道路元標に到着した。

こうして私の初キャノボチャレンジは26時間『完走』と言う結果で幕を降ろした。

初めての日本橋道路元標

元標裏で横になり身体の回復を待つ。
ポカリを舐めながら点滴の要領で身体に水分を入れると良いとTwitterでアドバイスをもらいその通りにした。
お陰で少しずつ回復した。
有り難いことに、複数のフォロワーさんが差し入れを持って見舞いに来てくれた。
結局元標裏で4時間以上滞在した。
ここに滞在した時間としては日本一の記録なのではなかろうか?

陽射しが暖かく居心地が良かった。


フォロワーさんに見送られ東京を後にした。

リカンベントの輪行
PEKOさん特注輪行袋
シンカンセンスゴクカタイアイスを食べながら食べれる喜びを噛み締めた。


帰宅後まずは味噌汁を摂取。五臓六腑に染み渡った。
暫く睡眠を確保して、起きてから饂飩を摂取。
生きてるって素晴らしい!と感動した。
翌日からは倦怠感は残るものの普通に出勤。
日常に戻った。

そして秋に再チャレンジすると心に誓い、即座に宣言をした。

このチャレンジは、キャノボとしては失敗に終わったものの、伊賀より先の行程は全て初見であった事から、ルートの下見が当初からの、本来の目的と考えれば十分な成果と収穫。
そう言った意味では、ゴール地点まで辿り着き完走した事に大きな意義があった。
ルートの距離感を掴み、プロファイルを把握出来た以上、間違いなく次に繋がる。
しかも脚にはまだ余裕があり、走力的には全く問題はなかった事から、寧ろ確固たる自信がついた。



…キャノボ玉砕リベンジ準備編へ続く。


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