忘れてしまうことはわかっているから#1
スーツの内ポケットで携帯電話が着信を伝えるべくブルブルと震え出した。仕事中なので出られなかったが、立て続けに同じ番号から3回着信があった。
今はメールやLINEでやり取りすることがほとんどで、電話がかかってくるのは珍しく、しかも繰り返しかかってくることなんて滅多にないから、何だか嫌な予感がした。
トイレに行くふりをして席を外し、携帯電話を確認すると、見覚えのある番号だった。
それはかつて役者として所属していた事務所の社長からだった。
役者を辞めてもう4、5年は経つだろうか。喧嘩別れをしたわけではないが、今日に至るまでお互いに全く連絡を取っていなかったので、久しぶりに何だろうと思ったが、思い当たることが一つだけある。
それが思い違いであってほしいと願いながら、恐る恐る電話をかける。心臓がバクバクしだした。
3コールもせず、懐かしい声が電話口から聞こえた。
「突然ごめんね、今大丈夫?」
「お久しぶりです、大丈夫ですよ」
「…あのね、T(大先輩の役者)が今日亡くなったの」
「あ…」
ほとんど前置きもなく放たれたその言葉に、僕は腹を撃ち抜かれたような衝撃を受け、その場に立ち尽くした。
嫌な予感は的中してしまった。