私は世界に未来も希望も感じない。
師走それは12月。
街中には月末イベントのクリスマスを知らせる音楽。
ポップアップ。消費を促す知らせ。
明るさを演出する言葉の羅列。
2023年も、もうすぐ終わる。
2024年は良い年にするように、気持ちを切り替えなさいと世界が私を促す。
年末に自殺が増えるというのは本当かな。
本当かもしれない。私は中学3年の時、31日の夜に本を返そうとして、友人の家に足を向けたとき、そういう光景を目にした。友人宅近くで大人が集まって、野次馬となり、立てこもりの末に家に火をつけたらしいと話していた。
個人の人生は他人にはわからないもので埋め尽くされている。
だから、私は人に共感できない。
「できない」というか、しづらい。
だから、共感されすぎても、わかられ過ぎても、なんだか、その人が怖くなる。
私は、他人の人生を「わかってる」とか「わかった」なんて軽口叩けない。
ひとのいのちは、重い。
肉体の重さじゃない。積み上げた経験、努力、存在価値、それらの全てだ。
わかったところで、一体なんだというのだ?
君に一体、私の何がわかったんだ?
私は君の一体何をわかったというのか。
わかった、知ってる、大丈夫、そんなもの。
気にするな。大したことない。
私はこれらの安直なやりとりが苦手だ。
私は私の中のこの問題、「他人に共感できず、他人の要求に応えられない」問題について、専門家に相談したところ、発達障害と診断を受けた。
私の説明もまた、相談相手にとってわかりにくかったのかもしれない。
そして、相談相手たちは、私の話を具体的に理解しようとするよりも、私を彼らの読んだ本や使えそうな道具に当てはめようとする事しかできない人たちだったのだ。きっと、私が相談相手を間違ったのだ。
私が他人に共感できないのは、他人が言っていることの意味がよくわからないことが多かったからだ。
「今はやりたくないから、あなたやって。それくらいできるでしょう。」
「その人、店長が好きな人だから、話しかけられても仲良くならないようにしないとダメでしょ。しっかりして。」
他人の要求に応えられないのも、言われていることの意味がわからないだけでなく、私自身にとって食べて害のない食事が世の中にほとんどなかったからだ。食べないと責められたり、神経質だと言われたり、食べると腹痛を起こしたり、体調不良で起き上がれなくなる。
これらを説明しても、どの病院で私を診た医者も、それぞれの専門に沿って何らかの診断名をつけて投薬や入院を要求するだけで、私はちっとも良くならなかった。
良くならない私の状態に私の両親はいつも困っていた。
支払いがかさみ、体力も気力も奪われると。
私は困っていなかった。困るを通り越して、意識がなかった。ただ朦朧とし、薬で眠り、1ヶ月のうち、数日、数時間しか起きていないような生活をしていた。
何年も。
私は全身の激痛と冷えと、吐き気と肉体の硬直との戦いに時間を奪われていたのだ。SNSの閲覧で気力を持たせるようにするのが限界で、他人からの非難や誹謗中傷のような言葉が自分に突き刺さるのを恐れていた。
反論する気力も体力も、交流するエネルギーも枯渇していた。
どうやったら、自分の身体が自由に動くようになるのか。
突き刺さる電気や太陽の明かりや周囲の生活音に耐えられるようになるのか。
なぜ、私の肉体は私の思うように動かないのだろう。
通院先が違えば、される検査が違う。
検査結果が違えば、違う診断名がついたのだろうか?
今となってはもうわからない。
病名、診断名を手掛かりに、私は自分の生活再生の手がかりを求めた。
友人だと思っていた相手にも相談した。
でも、どの行動も何の解決にも繋がらなかった。
私は悪化し続けた。
私が自分の人生で学んだこと。
医者は私の身体を壊すだけ。
社会は私を人間ではない何かのようにしか見れない。
私は社会が求める人間であるより前に、ひとつの生命で、動物だ。
どの時点で私は肉体の回復を得たのだろう。
私が覚えているのは、誰に何を相談しても、「できない」「しんどい」「疲れた」「無理」「ごめんね」「申し訳ない」
そうやって、行くあてを失ってきた記憶。
私はただ、冷たい部屋でゴミの山のような部屋の中に横たわる時間を費やし、生きているか死んでいるかの確認のように訪れる来訪者と繋がりながら、来訪者の手を借りて、肉の塊のように毎日を過ごしていた。
私は今の社会で何を信じたらいいのかわからない。
もしも、他人の良心を信じることができたのなら、お金を稼ぐことにも意味を感じたのかもしれない。けれど、お金がどういう作用を生むものか理解できていると、そう簡単な話でもなく。
社会も人も金も私のいのちを救わない。
これを体感してきた私が言えること、やりたいことは、人間の生きる意味や価値の再興だ。
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