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普通のふりして生きてきた~ちょっと病気がちな奴が健康なふりをしている回想録⑪~

小学生の時、小児喘息をこじらせていました。

重度ではなかったにせよ、二種類の吸入器使ってたし、定期的に病院に通って病院の据え置き吸入器を使ってたりしたので、普通の小児喘息患者ではあった。

小学校のマラソン大会は、練習期間も含めて一番嫌いだった。健康優良児達と肩を並べて走り出しても、呼吸が苦しいし足も遅くて、ビリになる。ビリの為に同級生達をゴールに待たせるのも嫌だったし、ゴールで先生に言われて同級生みんなが思ってもいないくせに「がんばれ」コールするのも嫌だったし、あんまり遅い時には迎えに来た先生と走るのも嫌だった。先生、車で迎えに来いよ。

何年生の時のマラソン大会だったかの当日に、保護者達の応援ゾーンを走っている時に、気づいたら母親が並走していたのも嫌だった。(忘れた吸入器を届けてくれたのに)

案の定、クラスメイトには「あいつの親、一緒に走ってたよなw」と陰口を叩かれた。

そんな小児喘息時代の忘れられない話がある。

最悪の目覚め

当時低学年だった私は、たまに夜に発作を起こした。

眠っている内にいきなり呼吸が詰まり、咳を繰り返し、息が出来なくなる。

そんな時期には二階の子供部屋ではなく、一階の洋間で母と一緒に寝ていた。苦しくなった時に使う頓服用の吸入器を枕元に置いていた。

実際頓服用の吸入器って、もうその時点で息できてないから、服用難しいよね。

まあ、それはさておき、その日も私は母と布団を並べて洋間に寝ていた訳だ。

その洋間には水槽があり、その水槽では母が大好きな(というか脳炎の影響で動物を禁止されてるうちに、小動物が怖くて近づけなくなった私が唯一家で飼うのを許したペット)金魚を飼っていた。水槽内を縦横無尽にビュンビュン泳ぐ、活きのいい年若い子赤。

そして次の朝に悲劇が起きた。

いつもの癖で左を向いて寝ていた私が目を覚ますと、水槽に住んでいたはずの子赤が目の前でぐったり息絶えていたのである。

私「!?」

さすがに目覚めが良すぎて二度寝出来なかった。

金魚は活きが良すぎて、勢い余って水槽から飛び出たらしい。

事故の時間は早朝であろうか。もう手の施しようがなく、彼(または彼女)は丁重に庭に埋められた。

そんな、喘息と全く関係ないエピソードだが、「喘息だったんだよね」という話を人から聞くと、その事をついつい話してしまう。

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おべん・チャラー
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