ハピー
ハピーはわたしが小学五年生の時に友だちの家で生まれたオス犬だった。
小さい頃から犬が大好きでずっと飼いたかったけど、祖父が犬を嫌っていて飼わせてもらえなかった。
一度、知り合いからもらった子犬は翌朝になるといなくなっていた。母には逃げたと言われた。
あとになって、祖父がどこか遠くへ連れていくように言いそれに従ったのだと聞いた。
わたしが小学校中学年くらいから祖父は寝たきりになっていた。母は以前もらった子犬を逃してしまったことがうしろめたかったのか小学五年生の時に、友だちの家に生まれた子犬を飼いたいと言った時は賛成してくれた。
生まれた子犬は5匹。
母犬は白の雑種。父犬は分からなかったが、母犬には秋田犬が混ざっていると友だちは言っていた。
3匹はもうもらわれていて、残るは少し小さい薄茶色のかわいらしい子犬と、白と茶のブチ模様でまるまるとしていて身動きもしない子犬だった。
もらい受ける予定の友だちと2人で迷った。友だちは薄茶色のほうが欲しいと言った。本当はわたしも、と思ったりもしたけど、念願の犬が飼えるとなればどっちでも良いと思えるくらいかわいかった。
はれてうちにやってきたコロコロに太った子犬は、ハピーと名付けられた。
母が、うちがもらわなかったら捨てられていたかもしれないんでしょ。なら、うちにきてハッピーだね!と言って名付けた。
ハピーは愛嬌がありかわいかった。わたしは毎日かいがいしく世話をしかわいがったが、わたしより当時、祖父の介護で家にいた母に一番懐いていた。
母には服従、わたしのことはどう思っていたか知らないがまあ同等くらいに思っていたに違いない。
座って背中を見せるとすぐに背後から飛びかかってじゃれてきた。
ハピーはあっという間に大きくなった。秋田犬の血が濃く出たのか、成犬になる頃には立ち上がると1メートルは軽く越えるほどだった。
やがてわたしも思春期になると、散歩もよくサボった。父も母も弟も忙しくして、散歩にあまりいかなくなったりもした。
ハピーがきて13年になる頃、わたしは24歳で上京することを決めた。勤めていた会社も当然、辞めることにした。
その頃、ハピーはいなくなった。首輪が抜けてそのままいなくなったのだ。はじめは何日かで帰ってくると思っていたが、一ヶ月を過ぎても戻って来なかった。
都合がいいもので、そうなると毎日毎日、犬小屋をチェックする。喜ぶと頭もシッポもブンブン振りながら近づいてくるハピーがいるんじゃないかと見ても、どこにもいなかった。
でも内心、わたしはどこかで安堵していた。
もし死期を悟ってハピーがどこかに行ったのだとしたら? わたしはその姿を見なくていいならつらくないのかもしれない、と。
もしそうでなくても、どこかで生きているかもしれない希望も持てる、と。
勝手な話だ。
2ヶ月ほど経って、会社を辞める3日前だった。駐車場の掃除をしていたら野良犬が迷い込んできた。痩せこけた犬だった。
中型犬でなんだか怖いな、と思って見ていたら、茶色い毛の右のお尻の部分に白いブチが見えた時、わたしは思わず声をあげた。
ハピー?
ギラついた目でこっちを向いた野良犬は、ハッとした顔をして頭とお尻を振りながらヨレヨレとわたしの元にやってきた。
涙が出る感動の再会、というより、ただただ驚きしかなかった。
そのあと、職場に事情を話しハピーを連れて歩いて家まで帰った。どれだけぶりの散歩だったろう。
ちなみに家から職場までは車で15分ほどだが、散歩で行くような距離ではない。
ハピーは自宅に素直に帰った。泥まみれで痩せこけていたハピーも、父の手によって綺麗に洗われ、鋭かった目もまん丸の前の目に戻った。元気な様子だった。
それから半年後。わたしは上京の日を3日後に控えていた時、ハピーは急に歩けなくなった。立てなくなった、というべきか。
夜中もヒンヒンと鳴き、わたしはハピーの小屋がある隣の部屋で窓を開けて寝た。鳴くとわたしも目が覚めて声をかける、すると少し鳴き止む、の繰り返しで朝だった。
どうにもできず気になりながらもわたしは予定通り上京した。当時、携帯電話もあったと思うが、解約して行ったのか、東京の家の電話が繋がった朝、実家に電話をしたらハピーは前の日の朝、亡くなっていた、と母が言った。
わたしは飼い主として最低だったと思う。
無責任で勝手だったと本当に反省している。
今でも犬は大好きだけど、わたしはもう犬を飼うことはない。
こんなわたしに犬を飼う資格はないし、なによりわたしの犬はハピーだけだと今でも思うから。
ハピー、幸せにしてあげられなくてごめんね。でもわたしは本当にわたしの人生にハピーがいてくれてよかったと思ってる。
あれからもう20年。ハピー、今も大好きだよ。
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