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自由に縛られている話

こんちは、まんじゅうです。
今回は、久々に曲を聞いたら書いてみたくなったので
書こうと思います。

じゃあ、行こうか。


タイトルで察している人も多そう

分かる人にはわかると思いますが、カンザキイオリさんの
自由に捕らわれるを久々に聞いたら色々と思うところがあったので
記事にしました。

聞いたことが無いって人はリンクを貼るので、ぜひ聞いてみてほしいです。
カンザキイオリさんの曲は、他の曲もいい曲ばかりなので
今回を機にハマってほしいなって思います。

初音ミクverと、カンザキイオリさん本人歌唱verがあるので
ぜひどっちも聞いていってください。

初音ミクver

カンザキイオリさん歌唱ver


突然「自由」になる

歌詞の中でも言われているように
「今まで散々縛ってきたくせにこれから自由にやりなさい」
と放り出されるような感覚がある。

高校を卒業するまでは、校則でできない髪型があったり
服装がきっちりと決められていたり、やりたいことを
やらせてもらえずに将来使うのかわからない勉強をさせられたり
学校側の都合で部活に入らないといけなかったりする。

それが大学生や社会人になると、突然「自由」が増える。
今までは校則やこちらの事情を考えていないような意見や
余計な心配で散々縛り付けて、レールの上を走らせようとしてきたのに
突然、「自分で考えて決めなさい」と言われるようになる。

檻の中で与えてもらうような環境から、突然外に放り出されて
自分から行動しなければ自分には価値が無いような
存在すら許されていないような、そんなことを感じてしまうような
環境に変化する。

道標も自分から探すしか無く、受動的だったことが主体的に変わっていく
「自由」という言葉は、さも良い言葉のように使われていることが多いが、
今まで受け身的な考えを育まれてきた人にとっては
「何をしたら良いのかわからない。」という思い支配されてしまうような
人もいるであろう。

仕事ばかりで、「自由な時間」に何をすれば良いのかわからないなんて状況なんかもある意味で、どう「自由」にすれば良いのかわからない
状態になるから「自由」に囚われているという意味なのかもしれない。

自分で選択するしかない。

学校という狭い箱庭から、突然社会という広すぎる世界に出ることになる。
「自由」だからこそ、自分で選択するしかなくなる。

就職先も、自分の生き方も、付き合っていく友人や知人も。
何もかも自分で決めなければいけない。

選択した結果、自分が不幸になったりしてもそれは自分の責任になる。
「自由」には「責任」がセットになる。
「自由にする」ということは「責任を負う」ということも付いてくることを
知らなくちゃいけない。
大人になる・なってしまうことは、そういうことを考えながら
自分の選んだ「自由」に対して「責任」を負いながら、
結果が悪ければ、自分をなんとか納得させて自分を騙すように
過ごしていくことなのかもしれない。

カンザキイオリさんが言いたいことが書けるとは思わないけど、
僕的には、「自由」へのイメージが変わる曲でした。

伝えたいことが多くて、カンザキイオリさんの曲を聞いてほしくて、
よくわかんない文章になっちゃったけど、
こんな記事も良いんじゃないかなってことで今回はこの辺にしときます。

他の曲もいい曲ばかりなので、皆さんぜひ聞いてください。

ブログの方にもこんな感じの記事だったり、
役になってみんなにおすすめしたいモノを紹介するような記事を
書いていくので「なんか良いな」って思ったらブログの方も
ぜひよろしくお願いします。

じゃあ、またね。

ブログはじめました。


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