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晴天に失った秘め事

傘が意味をなさない夕立ちの中、担当者との打ち合わせを終え寮に戻ると、玄関の前で三角くんが背中を丸めて座っていた。
また鍵を持っていないのかね、と声を掛けたが返事が無い。気になって覗き込むと、木の枝で地面に三角形を沢山描いている。邪魔をしないようにそっと傘を差し出すと、やっと三角くんが顔を上げた。
「オレに関わらないほうがいいよ」
それだけ言うと、三角くんは土砂降りの雨の中を傘も持たずに駆け抜けていった。

雨に濡れた服を着替えて稽古場に向かうと、私以外の全員が、既にストレッチを終えるところだった。稽古場に入っても土砂降りの雨の中に消えていった三角くんの哀しそうな顔が忘れられず、ストレッチをしながら皆に尋ねてみた。
「斑鳩三角…ですか……」紬くんは口篭る。
「斑鳩三角なら、だいぶ前に亡くなったと聞いたことがある。今になってなんで斑鳩の話をするんだ?」丞くんの言葉に私は強く動揺した。
「支配人の話だと、彼の存在は劇団七不思議になっているらしいね」東さんの言葉が引っかかる。三角くんが劇団七不思議?私には霊感は無い。それでも、確かに三角くんが土砂降りの雨の中で蹲り、木の枝で地面に大量の三角形を描いていたところを見た。そして、三角くんは傘を差し出した私を真っ直ぐ見つめて、自分と関わらないほうがよいと忠告してきた。ちゃんと実体があった。私の見た光景と、丞くんたちの話がまるで噛み合わない。
結局その日は稽古に身が入らず、早々に稽古を中断することになった。夕立の中、担当者との打ち合わせに行ったのだから、体調を崩すのは仕方がないと監督くんはフォローしてくれたが、私の頭の中は稽古を中断させたことへの罪悪感と、三角くんのことでいっぱいだった。
 
劇団七不思議に詳しい支配人に三角くんについて訊いてみると、203号室に住み着く幽霊の名前だと怯えながら教えてくれた。
早速203号室に行き、扉をノックする。応答は無い。
「ちょっと!アリリンなにやってるの!?そこは……その部屋は……」
怯えきった顔の一成くんに止められる。
「三角くんの部屋だろう?」
私は構わず扉を開けた。埃っぽい臭いが鼻を突き刺し、三角形のインテリアは錆びたり誇りを被ったりしている。その様は、長年、人が住んでいないことを示していた。
「なんだいこれは?三角くんは夏組のメンバーで、キミたちと何度も公演に出ていたではないか」
「え、アリリン何言ってるの?夏組だけ5人揃わなくて、4人で公演してきたじゃん」
論理立てて考えようにも、事実の整理すらできない。自室に戻り、眠れない夜を過ごした。

翌日も雨だった。雨の日は雨の音を聞きながら読書をするに限る。今日もそうしていると、窓の外から何か気配を感じた。窓の外を見ると、三角くんが背中を丸めて蹲り、木の枝で地面に三角形を沢山描いている。何故、昨日も今日も雨の中、外にいるのだろうか。寮の中に入るように声をかけに行こう。部屋を出て階段を下り、玄関を出る。
三角くんは顔を上げて、「ありすにはやっぱりオレが見えてるんだね」と言う。
「じゃあ、皆が言っていたことは……」私が口篭ると、三角くんは「本当のことだよ」と続ける。
三角くんの話によれば、彼は最愛の祖父を亡くした後、居心地の悪さから実家を飛び出し、縁があったMANKAI寮に住み着いたという。
しかし、劇団は貧しく食べるものがなく、かと言って万引きしてまで生き延びる気力もなく、そのまま餓死してMANKAI寮の地縛霊となった。
亡くなったのが雨の日だったからか、雨の日しか出てこられないらしい。
「ありす、劇団七不思議に巻き込んじゃってごめんね。オレ、また芝居をしたいんだ。みんなのお芝居を見るだけでもいい。でも、稽古場には入れないから、雨の日に外から皆が稽古する声を聞くだけ。オレはね、芝居をしたいくらい、じいちゃんのところに行きたいんだ〜。ありす、オレを成仏させてよ」
合理的に考えれば、三角くん本人が成仏したがっているわけだし、劇団の皆も三角くんのことを昔亡くなった幽霊だと思い怖がっているのだから、早く成仏させてあげるのがスジなのだろう。
しかし、脳裏に焼き付いた三角くんの笑顔や悲しそうな顔が合理的選択の邪魔をする。今まで過ごしてきた三角くんとの時間はなんだったのか?
「ありすはね、劇団七不思議に巻き込まれてオレの姿が見えるようになっただけなんだよ。ありす以外の人からすれば、オレは10年以上前に死んだ人だし、オレを見ることすらできない。お願いだから、早く成仏させて」
三角くんの顔は真剣そのものだが、私は踏ん切りがつかないでいた。
「ふぅん、オレが消えちゃうのが悲しいんだ?じゃあ、雨の日だけ2人で遊ぼうね!もちろん、誰にも言っちゃダメだよ。2人だけの秘密!」
三角くんと指切りげんまんをした。三角くんの指には体温が無かった。

梅雨時なので、毎日三角くんと遊んだり話したりすることができた。三角くんは私が作ったさんかくをモチーフにした詩を大層気に入ってくれた。
劇団員に見つからないようにさんかく探しをして、たわいもない雑談をする時間が何よりも楽しかった。2人にとって失いたくない大切な秘密になっていた。

雨が止み雲が割れ、雲の隙間から太陽光が差し込んできた。三角くんの存在がどんどん不安定になってくる。私は混乱する頭をフル回転させて、三角くんの願いごとを思い出す。そうだ、彼は皆の芝居を見たいと言っていた。
近くにいた紬くんと丞くんを呼び、この場でエチュードをやって欲しいと頼み込んだ。三角くんの存在は先程よりも不安定になっている。私の焦りが伝わったのか、紬くんと丞くんは、冬組旗揚げ公演「天使を憐れむ歌」のラストシーンを演じてくれた。
それを見た三角くんは満足そうに目を細め、涙を流した。そして、ありがとう、と言い、消えた。
 
空はすっかり晴れ渡っていた。
無事におじいさまのところに逝けただろうか。
失ってしまった三角くんとの秘密の時間を思いながら、私はひっそりと涙を流した。

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