勝手に茂木忍卒業カウントダウン企画 #5
こんばんは。
この企画も5日目。一応のところ「三日坊主」は回避できたようです。よかったよかった。
今日振り返るのは2015年あたり。
正直、茂木さんに関係ないことがほとんどですが、「卒業」というイベントの思い出が多く、そして濃い時期です。
今回、このグループで応援しているメンバーが卒業していくのはこのとき以来。
時代も環境も自分も…なにもかも今と違いますが、なかなか思い出すことが多かったりもします。
シニガミと呼ばれて
まあ正直、年明けから5月ぐらいまでは平穏でした。
年が明けて、茂木生誕があって…。
5月29日だったでしょうか。ジムで筋トレをして、閉館時間になったのでロッカーに戻ると、LINEのバイブがひたすらに鳴っていました。
「咲子さん卒業だってよ」
おお、来てしまったか。本来、自分がヲタ卒をしようとしていたはずの出来事がついにやってきてしまいました。
25歳の年齢、ラジオで芸人さんと渡り合えるトーク力、ピアノが弾けるということが世に知れている…などなど考えると、「まあそうだよね。もうこのグループから出てもいい頃だよね。」とかそんな感じだったので、とにかく前向きな、そんな文字通りの「卒業」と捉えていました。
今、茂木さんがそれより少し年長になるまで現役でいること、素直にすごいなと思っています。
ただ、この卒業は序章に過ぎなかったのです。
6月15日には土保さんも卒業発表。ここは特に触れなくてもいいでしょう。
年明けぐらいから「ぼちぼち…」みたいなこと言ってたし。
で、問題は卒業の日程。
6月22日 僕の誕生日
6月24日 土保さん卒業公演
6月26日 松井さん卒業公演
発表から中8日で卒業公演、そこから中1日でもう1つ。
大学の授業や練習から秋葉原に直行してミーティングを2週間ぐらいほぼ毎日やっていた気がします。
このあたり、なんかの写真を添えて感傷に浸りたいところなのですが、何もありません。
なんでかって。両方とも落選だから。
ヲタクに誕生日を祝ってもらえることになって
「21なら卒公当選祝いもできるやん!」みたいなノリで、21日の20:00から焼肉を食べていたのですが、待てど暮らせどメールは来ず。
日付が変わって、誕生日を祝われながら、絶望した表情で卒業公演の一般枠を投げた経験のあるヲタクなんて、滅多にいないでしょう。
卒業公演は自動的にロビー規制になる時代だったので、やることがなくてタリーズでコーヒーを飲んでいたら、劇場スタッフのKさん(今は福岡にいるとかいないとか)に「なんで上にいないの!?」とかデリカシーの欠片もない言葉を2回にわたって掛けられたことは忘れません。
初回はまあ「本番明後日ですからね!?」とか返し、2回目は「ぶっちゃけ本命は逆生誕っすよ」とかわかりやすい冗談を言ったりとかしたんですが…。
2013年の茂木生誕のアルバムを紛失しかけたことも忘れてないので、東京戻ってきてくれません!?
ってことで、この上半期、ほとんど公演入ってないんですよね…。
そんな中、生誕で光るクマの人形を持って「女子高生はやめられない」のフリコピに励んだのはたしかに覚えています。
でも今思うと、この年の上半期はたしか茂木さんに握手券を積んだ枚数が猛烈に多かった気が。たしか4桁近かったはず。
怒涛のタスクが積み上げられた一方で、リソースの割き方はほとんど茂木さんだったのは何故でしょう。やっぱりモギシノブだなあってなっていたんだと思います。
そしてそして、7月の半ばあたりで、パフォが好きだったのがきっかけでぼちぼち通ってた小林茉里奈さんが卒業発表。
だいたい時同じくして、ぼちぼち東京遠征とかあったら通ってたJK21ってグループの横峰りのんさんが卒業発表(今まだ現役だったりするんですが…)
前者のラストはこれまた落選。
後者のラストは大阪に飛ぼうとしたら台風直撃で欠航。
わずか50日余りの間に通ってるアイドルさんが4人ご卒業なさる異常事態で、おまけにラストは全部現場にいられず。そこでついたあだ名は死神。
こんなことがあったので、今回もう卒業公演当たらん芸人としてめちゃくちゃ不安だったりします。
や、知ってんだよ。「おめえの推し、ほかにいるだろ?」って天から声が聞こえてるんだから(白目)
このペースで書いてると、1/19までに懐古ネタが尽きそうなのですが、まあ色々考えていきます。
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