むかしといま
2019年
ド派手な金筐体とともにDDR A20が稼働した頃。 艦これのコラボのために八景島へ向かい、その足掛かりのために平塚に泊まり、DDR行脚を進めるために向かった平塚のラウンドワンにDP18をAAAする猛者プレーヤーがいた。当時EXTRA限定かつ足18だったORCA EDPをプレーしてAAA完走する姿を目の当たりにして、世界にはこんなにもDDRの上手なプレーヤーがいることに驚いていた。その後に複数回プレーしていたMAX300 EDPでは停止明けの1歩が光らなくて苦しんでいた印象がある。
この方が当時の平塚ラウワンで最も上手いのは間違いなかったが、それ以外のプレーヤーもSP足19を全てクリアする方や、DP足19を全てクリアする方など「異常な領域」と言っても過言ではなかった。こんな魑魅魍魎がいる場所でDDRをプレイしようなど思う変わり者はあまり居ないようで、いつ行っても大体同じメンツがいた気がする。ホームでもなく、駅から近い訳でもないのに何回も足を運ぶ私も十分すぎる変わり者だった。ここの筐体上で足を攣るまで踏んだことは何度かあった。
ここの繋がりを元に某氏のPGRF参加のツイートを知って、XI JUMBOのノルマアタックを「クリア時間」という軸で競うRTAをやり始めた。別にそのツイートを知る経路はいくつもあっただろうが、どういうことか踏みゲーガチ勢から回ってきたのは不思議なものだ。艦これとDDRをやってなかったらRTAに関わることはなかったかもしれない。
なお、DDR行脚に関してはこの前作「DDR A」でも47都道府県を行脚しておりDDR A20では「2周目」ということになる。エリアブラウザを全て埋めても何が解禁される訳でもないのにひたすらに各地のゲーセンでプレーしていた。軽率な発言にノリと勢いが加わった結果がこれだ。
艦これのリアイベに関しては17年の富士急ハイランド・18年のよみうりランド、そして氷祭りで脳を灼かれたので割と参加するようになっていた。この後八景島にはコラボ期間中にあと2回も訪れている。というかコラボでもなければピューロランド(20年)なんて一生行くことなかったと思う。本来最終日ではない日程が最終日となってしまったなど、ここで食べたローストビーフ丼は様々な意味で深く印象に残っている。
2024年
旧筐体のサービスが終了してAシリーズからWORLDへと世界が変わり、ロケテなしの駆け足稼働から修正を重ねているDDR。平塚とゆかりのある人の曲も収録されたりした。おめでとう。しかしエリアブラウザなどの機能はもはや存在せず、気づけばベーシックコース対象機種からは離脱していた。DDR A3の頃から鳥取と島根にプレー店舗が共存することはなく、倉吉のスーパーヒーローでのDDR稼働も旧筐体のサービス終了で散っていった。新紙幣導入などゲームセンターの営業が難しくなる要素がさらに増え、訪れたことのある店舗から閉店の報告を聞くことも少なくない。古参や家庭用1stを知っている層に刺さるButterflyも版権曲の宿命として姿を消した。そろそろDDRは25周年を迎え、プレーヤー間でも世代の差が見られるようになってきた。
踏みに行く場所の一つのラウンドワンで艦これとのコラボが行われるようになった。ボウリングのスコアを2ゲーム255という無理難題は足を動かして体を温めるくらいでは達成できない。8枚のフットパネルに苦戦するのに10本のピンを倒すのは難しい。400円と最も手を出しやすいガチャガチャですら「3クレ分が一瞬で溶ける」という印象なのはここをゲーセンだと認識しているから。ギャラクシープレーで360pならフローティングフレアを使う事ができるが多分やらない。
金筐体も5次出荷ぐらいが出現するようになり、プレーできる箇所は大都市圏に限れば増えている。新曲も来ている。新しいシステムも来ている。供給はあるが、来て欲しい要素が来ないことも確かだ。EDITはとにかく、存在しなかった「s3」を待ち続けた人は成仏出来なかったと思う。やすらかに。
次の五年を無事でいられるかはわからないけど、続きがあってほしい。