アイネクライネいい曲よね
みんな居場所を奪われないように必死
能力のある人間の芽を摘む
バレバレでカッコ悪いけど、そんなカッコ悪い人は図々しく居心地の良い場所に残る
よくわからないけど生きる術なんだろうな
めちゃくちゃ迷惑だけど自分軸で生きていて羨ましい
どうして誰かが傷つかないと変わらないんだろうな
傷ついた人は結局報われないことのほうが多い
次の誰かのために犠牲になる
その繰り返し
そんなこと言い出したら今ある色んな幸せも誰かの不幸の上に成り立っていたりもするのだけど
なんだかなー
色々なんだかなーと思ってしまうね
悲しみの中から学ぶのはしんどいし人生って悲しみの連続
悲しみがないと喜びすらも感じられないんだろうな
それはなんとなく分かるよ
生きていると理不尽な出来事のなんでだろうが多すぎる
人間って不思議
人間も蟻みたいに誰かに観察されていたりするのかな
なんて思ってみたり
実験と観察を繰り返されていくのかしら
よく、ばーちゃんがあんたは消極的すぎる!欲しいものがあるなら奪うくらいの気持ちでいろ!!
と私に言っていた
しかし私は米津マインド
「誰かの居場所を奪い生きるくらいならばもうあたしは石ころにでもなれたならいいな〜♪」
というような感じなのだ
アイネクライネいい曲よね
私だってたくさん欲しいものはある
だけど、誰かのとっても欲しいものを奪ってまでは欲しくないと思うことが多かった
いや、本当はきっと欲しいんだけど「いいですよ」とか言って譲ってしまっていただけかも
本当は嫌なのに
誰かを不幸せにして手にいれる幸せ
それって幸せなのかなとか考え出しちゃう
なんそれ
別に誰も不幸せになってないかもしれないのに
地球上のみんなが常にハッピーでいられるなんてまずない
私がいつも思っているのは理想であって現実的じゃない
だからきっと本当は、図々しいガンガン系のばーちゃんや苦手なお局系のような人が羨ましかったりもするのかも
お局系は大嫌いだしなりたくなんかないけど、うまく生きてていいなーとかは思う
理想はやっぱりみんなが心に余裕を持って寄り添い支え合えるって感じがいいな
理想はね
ただなんだから理想はこれからも語っていこうと思う
自分の大切な人を大切にするには環境と付き合っていく人たちもなるべく選んで自分を何よりも大切にすることなんだなと悲しみから学んだ
↑みーちゃんと傘のお話