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おぢば、喜ぶところ
教祖は
「ぢばという処は、世界たすけの場所であるから、ぢばにおって、苦しいとか、悲しいとか、情けないという心は、持ってくださるなや。世界たすけの邪魔になります。ここにいるならば、好もしい、たのもしい、ありがたい、と喜んで生きてくだされや。そしたら神は、いつまでおってもかえれとも言いませんで。いつまでいてもかまいませんで。そのかわり、かなしんでいては、いようと思ってもいられんようになりますで。」
と仰っておられました。
”すごいお言葉ですね、大切なお言葉です。よくよく心において日々通らせてもらいたいものです”
高野先生曰く
人間が生きている間に、思った思いはこの世に残っているもの。残念悔しいというのが残る。その残った思いが相手に作用する。それが相手の、事情、身上の原因の一部となる。だから相手に残念悔しいという思いをさせてはいけない。
相手を憎んだり、呪ったりする事は、絶対にいけない事です。そういう心は、人をたすける心でなく、人を苦しめる心になる。逆に、あの人は仕合わせになって欲しい、結構になってくださいと、陰から相手の幸せを祈ること。人を恨み、呪う心、殺す心そんな思いが集まり動き出し、火と燃えさかってくる。それが形になってあらわれたのが戦争ではないだろうか。逆に、人を喜ばしたい、たすけたいと思いが、戦争をなくすのではないか。だから日々おたすけといって駆け回る事が、世界の戦争を歯止めする、大きな力となっている。
教祖は「おぢばに喜びを置いていってくれ」と言われました。
教会は、好ましい、頼もしいと言って喜んで暮らさせてもらうところ。
世界も、喜んで、好もしい、たのもしい、といって暮らす。