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あなたはおかあさん4
親と子
④親子となるのもいんねん
何も彼も皆いんねん同士、いんねんという。親子の理、いんねん理聞き分け、善い子持つも悪い子持つもいんねん。これ聞き分けにゃならん。
(おさしづ明治34年3月11日)
親と成り子と成るは、いんねん事情から成りたもの。
(明治40年4月9日)
親があって子という。子は何人あれど皆可愛もの。なれど、どんならにゃならんように片付ける。中に出直す者もある。我が子であってまゝにならん。出すにも出せん、切るにも切られん。あんな者は何処へなっとと思えど、真の理は切れるか。
(明治31年3月30日)
何人子どもがあっても、親にとってはみなかわいい子どもです。
三人三様、十人十色、同じ親から生まれた子どもでありながら、それぞれに違います。
親子というものは、親神様の計り知れない、深いお計らいのもとに、親となり子となってこの世に生を受けるのであり、いんねんの者同士が相寄って親子となるのです。
私たち人間は、親が子を選ぶことも子が親を選ぶこともできないのです。それぞれにいんねんあってのことなのです。親子の間は、私たちの目には見えないけれど、深いいんねんの糸でつながれているのです。