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みかぐらうたをあじわう3
私の好き♡♡なおうた
よろづよ
このもとをくはしくきいたことならバ
いかなものでもこいしなる
この元々の由来を詳しく聞いたならば、どんな者でも皆、ぢばが恋しくなる。
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
親神は世界中の人間を皆隔てなく、早くたすけたいと急いでいるので、世界の人々の心をも勇ませてかかる。
※「はやく」「いそぐ」と重ねて仰せられ、世界たすけを非常にお急ぎになっています。
”勇み”の姿の最たるものがつとめ
その勇んだ姿に親神様もお勇みになり、ご守護もどんどん頂戴できる。
親神様にお勇み頂けるような勇んだおつとめの大切さを思わずにおれません。
一下り目
九ッ こゝまでついてこい
こうした効能、守護の姿を見るところまで、しっかりとこの信心の道について来い。
三下り目
四ツ ようゝこゝまでついてきた
じつのたすけハこれからや
よくぞ、ここまでこの道について来た。真実のたすけは、これからだ。
実のたすけ、本当のたすけというのは、究極のたすけである「めずらしたすけ」に向かう、元を教えてのたすけであり、その根本の手立ては”つとめ”である。
”じつのたすけ”
祈祷や医薬による一時的なたすけではなく、人間の心からほこりを払って、一切の禍害から根本的に永久にお救けくださること。陽気ぐらしの実現。
五ツ いつもわらはれそしられて
めづらしたすけをするほどに
いつも心ない人々に笑われ、誹られして、めづらしたすけをするのである。
「めずらしたすけ」について
ほこりさいすきやかはろた事ならば
あとハめづらしたすけするぞや(三 98)
しんぢつの心しだいのこのたすけ
やますしなずによハりなきよふ(三 99)
たすけでもあしきなをするまてやない
めづらしたすけをもているから(十七 52)
このたすけどふゆう事にをもうかな
やますしなすによハりなきよに(十七 53)
”めずらしたすけ”とは
心のほこりをすっきりと払い、真実の心になるところに恵まれる、病まず・死なず(若死にしない)・弱らず(年を取っても弱らない)という、いわば究極のたすけです。また、身上・事情が治るとか治まるとかといった、悪いことが元通りになる類いのたすけではない。その点で”ふしぎなたすけ”とは、はっきり区別されます。”ふしぎなたすけ”は、医者が匙を投げたような重篤な身上が、奇跡的に救かったことを言いますが、客観的に見れば、悪しきが治った、体が元に戻っただけだからです。
七ツ なんでもこれからひとすじに
かみにもたれてゆきまする
何が何でもこれからは一切の欲心を払い去って、ただ一すじに身も心も親神様にもたれ、思召に沿い切って進ませて頂きます。
一すじ心、神にもたれる心の反対は、いわば人間思案をあれこれとめぐらせ、自分の知恵、力に頼っている姿、我を張っている姿です。
”わらはれそしられて”そうした時、もたれ切っていないと心が動揺する。世間の思惑が気になり、迷いが生じがちなものです。
ちかみちもよくもこふまんないよふに
たゝ”一すじのほんみちにでよ(五 30)
十ド このたびあらわれた
じつのかみにはさうゐない
ついにこの度明らかになった。この神様は真実の神様、実の守護をなし下さる神様に相違ない。
しんぢつの神がをもていでるからハ
いかなもよふもするとをもゑよ(三 85)
「あらはれた」の手振りは、”両人差し指で、腹前に平らに円を描く手”これは出現したという意味ではなく、明らかになった、わかったという意味です。
「もとをしりたる」も同類です。出現という意味の場合は、よろづよの「かみがおもてへあらハれて」のように、両掌を右、左と斜め前に放り上げる格好をします。
”じつのかみ”実の神とは、単に真実の神というのではなく、火、水、風をはじめ、人間身の内の温み、水気、息一すじといった、実の守護をなし下さる神様という意味です。
立教のご宣言
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。みきを神のやしろに貰い受けたい」
この元の神・実の神という言葉の出典は、三下りの九ツ、十ドだということです。
九ツ こゝまでしんゝ”んしたけれど
もとのかみとハしらなんだ
十ド このたびあらはれた
じつのかみにはさうゐない
文献によると、親神様の表現にも種々あって、「元の神」の他にも「天の将軍」などがありますが、教祖が直々お教え下さった「元の神・実の神」を採用なさったそうです。
三下り目では
人々に対しては、神にもたれる一すじ心をお求めになり、ひたすら親神にもたれて信心に励み、日々健康に感謝してひのきしんに勤める中に、この神様こそ元の神・実の神であるとの確信に到ると、教えの角目、信心の心得についてお仕込み下さっています。
『みかぐらうた略注』上田嘉成 より
『みかぐらうた略解』上田嘉太郎 より