戦友のおっちゃんとの思い出
今朝、長い間一緒に、お道を通らせて頂いた住み込みのおっちゃんを病院で看取らせてもらった。
思い返すと本当に長い間共に歩んだ20年と少しの年月、、、。
振り返ってみようと思いnoteに残してみる
出会い
住み込みのおっちゃんとの出会いは結婚前に遡る。当時、今の主人とお付き合いをしていた頃、住み込みのおっちゃんは、まだ教会には住み込んでいなくて、、、。
毎月の教会の月次祭に和歌山から電車で帰ってきていた。
そして、いつだったか、、、。
教会に嫁ぐことを迷っていた時に主人がおっちゃんを月次祭を終えて駅に送る姿を見かけた。なんだか懐かしい気持ちになり、また主人と連絡を取り、関係を築き直し結果、教会に嫁ぐことを決心したきっかけの一つに住み込みのおっちゃんの存在があるのだ、、、。
※住み込みのおっちゃんと主人との出会いは
和歌山である。
主人が和歌山の布教の家で布教していた頃、駅前で毎日路傍講演をしていると、後に住み込みさんになるおっちゃんが近寄ってきて「手伝っちゃろか?」「配っちゃるわ」と、においがけチラシを配ってくれたのが、おっちゃんとの出会いである。
教会生活のスタート
結婚当初は教会に住み込んでなかったおっちゃんが教会に住み込むことになったきっかけは、一緒に住んでおられたお母さんが入院され、一人で生活できないだろうという判断からであり、その時から、おっちゃんとの教会での住み込み生活が始まったのである。
教会家族との関係
とにかく最初の頃は、かなりのトラブルメーカーではあった。
住み込む前は、月次祭に帰ってくる前日には主人の携帯に夜中に酔っ払って何度も何度も電話がかかってくるのである。
何日の何時に教会へ行けばいいかを酔っ払っらいながら嬉しそうに毎月、前日には電話をかけてくるのである。
それから、主人の父の弟とは馬が合わなくて、いつも怒られたと怒って喧嘩になる。
うちの信者さん方にも、定かでは無い情報を伝え混乱させる。
など、いろいろなトラブルがあった。
でも会長さん(主人)への信頼は絶大でいつも「会長たん会長たん」と会長さんがいれば何事も丸くおさまっていた。
が逆に留守の時はいつも何かとトラブルが続く日々であった。
また私の教会生活においても、本当にかなり助けて頂いたのも事実である。
家事(特に洗濯)、子育て(子守り)、教会の御用(神殿掃除や神饌物の神饌やおさげ)など手伝ってくれた。
なので、いろんなトラブルや揉め事もあったけれど、おっちゃんなしでは今の私は、絶対にいないなと思い感謝している。
思い出す一緒にした楽しいこと
やはり一番は、家族と一緒に温泉に行ったり、七輪で外でバーベキューしたことだろうか
常に大勢の人に声をかけ集まり(子どもたちも含む)、一緒に楽しい時間を過ごした。
特に私の友達の可愛くて綺麗な看護師さんメンバーはいつも誘われていた。
和歌山城の桜を見にお弁当を作って持って行きお花見もよくした。
あとは、こどもおぢばがえりの引率
常に一緒に撮った(両手でピース✌️し笑顔☺️の)写真が残っている。
凍らしたチューペットを入れたクーラーボックスも持ち歩いてくれたな。
準備の時も、いつも先々指示を出してあせらせてくれた。いや、手伝ってくれたのだ。
そして、いつも私と主人とが直接揉めないようにクッション的な存在でもあった。
おっちゃんの身上の話
ある日、おっちゃんは会長である主人と一緒に
教区の献血ひのきしんへ行った。
その際にC型肝炎が見つかったのと黄疸の症状が出始めた時期が同じ頃だった。
その翌日に病院へ行き、そこから治療の日々が始まった。
まずはC型肝炎の治療、強力ミノファーゲンの注射、それからインターフェロン治療もしたが副作用が強く諦めた。
時間をかけてC型肝炎は肝硬変になり、食道静脈瘤、肝臓癌となっていった。
食道静脈瘤からの出血で神殿で大量吐血し救急車での搬送は二回あった。その際には長男がその状況に動じず冷静に一緒に対応してくれた。
度胸はあるようだ。
コロナ感染もした。
転倒し肋骨骨折し、その骨が肺に刺さり肺が破れて肺気胸を起こし病院に入院したり、ファンヒーターで脱水を起こし低温やけどし皮膚科通院を繰り返したりしながら、徐々に肝硬変、肝臓癌は進行し、入退院を繰り返し体力は低下していき今回の入院で出直されたのである。
看取りときのエピソード
何だか寝付けなくて1時半頃に寝た日の3時頃に病院からの電話があった。
おっちゃんの呼吸状態がおちてきたとのこと。
主人と一緒に病院へ駆けつけ二人で最期の場に立ち会えた。
おつとめ着を持参してお借りしていた身体を綺麗に拭いてもらって着せて頂いた。
陽気におつとめをしていた、住み込みのおっちゃんが蘇ったかのように見えた。
入院する前日の教会の月次祭では陽気に、すりがねを奏でてくれていた。
そして、何とその最期の看取りとケアをしてくれた看護師さんが大教会関係の知り合いの看護師さんで、その日は勤務最終日でたまたま、リーダーではなく補助の役割だったためケアもしてお見送りまで一緒に関わってくれたのだ。
これも、おっちゃんが選んだのか、神さまのお計らいなのか、偶然にしては出来すぎていた。
いやこれはもう偶然ではない。一番いい日の出直しだったのだ。主人の田植えも終わり、一通り月次祭も終わり、しかも私の仕事がお休みの日をおっちゃんは選んでくれたのだ。
あれこれ思い出エピソード
思い出すことといえば、、、。
脱走事件である。実は私も二度ほど実家に逃げ帰ったことがある。
住み込みのおっちゃんも主人に怒られ(勝手に田んぼに水を入れるように村の区長さんに言いつけたりした時など)教会を飛び出し、電車を乗り継ぎ、実家のある和歌山に逃亡した回数、数しれず、、、。そのたびに捜索し、警察に届出て見つかると迎えに行くという繰り返しであった。一度など電車の乗り継ぎを間違え、吉野の山奥のコインランドリーで何日か潜伏していたてところを通報され、夜中に車を走らせて迎えに行ったこともあった。
※今回、出直した時期は、よく脱走を試みた6月であった。病院での入院生活から脱走したのかもしれない。
それから、大教会の付き人エピソード
私の子どもたちが、まだ幼い頃、大教会の月次祭へ行く時は付き人の如く、私のおつとめ着の鞄や子どもたちたちの荷物を持ってくれて、託児室で子守りもしてくれた。そのおかげで私は小さい子どもたちを何人も連れて、大教会の月次祭でおつとめに出させて頂けていた。
しかし、これまたおせっかいで勝手にやってしまった、大教会の月次祭のおさがりのパンをしゃしゃり出て配ってしまい、役員先生に怒られて揉めるということも度々あった。
それから、住み込みのおっちゃんが昔大好きだった、当時は大教会で青年づとめをしていた男性がいる。今は、もう結婚され子どもも出来、立派な会長さんになられている。
その若い好青年だった会長さんは、とても優しくて思いやりがあり、おっちゃんに対しても分け隔てなく接してくれたので、それが伝わりよく甘えていた。
その会長さんがお悔やみに来てくれて、お花までお供えしてくれた。
※そのお花の写真が今回のnoteのヘッダーに写っている。
ケアマネさんエピソード
御霊移しの前に、お世話になったケアマネさんもお悔やみに来てくださった。
住み込みのおっちゃんお気に入りの綺麗で可愛らしいケアマネさん、いつも「○○さん、全然会ってないな~ いつ来るん?」と1ヶ月に1回のケアマネさんの訪問日を楽しみに待っていた、おっちゃん。いつも長い時は1時間くらい、そのケアマネさんとおしゃべりしてたなぁ~。
そして、このケアマネさんは別に私たちが指名したわけでもないのに、これまた大教会関係の施設で働いておられるケアマネさんで、私の長女や大教会の知り合いの仲のいい奥さんの同級生でもあり仲良しの方で、とても素敵な人でした。
これも神さまが仕組まれたご縁、おっちゃんが選んだ人なんだろうな~
おっちゃんの人選のすごさよ‼️😳
そして、そのケアマネさんが言ってくださった一言、おっちゃんの笑顔☺️を見て「このお顔、笑顔☺️が全て物語ってるわ~ 幸せやったんやね~ ここの教会に来て、教会家族の方と一緒に暮らせて」って、そんな話しを聞きながら二人で、おっちゃんの枕もとで涙するという、、、。
嬉しい一言でした。
おっちゃんもうちの子どもたち6人と賑やかに暮らせて、うちの子どもたちも小さい頃はおっちゃんのお世話になり、長男なんて、おっちゃんのお世話をさせて頂いて、介護士になろうとしているし、、、。
本当に何もかもが有り難い🙏
長男のエピソード
先程、ケアマネさんとのエピソードに長男の将来の話が少し出たが、長男は今年の4月から専修科(お道の信仰信念を培う学校)に通っている。大教会に住み込ませて頂きながら伏せこみ中である。そんな中、住み込みのおっちゃん(親族ではないから)の葬儀のために学校を欠席できるのか少し心配したが二日ともお休みを頂けた。学校は、それでよしとして、大教会では今、夜間の事務所当番も任されている。それは、あまり気にしてなかったのだが、ちょうど今月で修養科を終えた青年さんが変わってくれて事務所当番にも入ってくれるのとのこと。
このタイミングもわかってたんだな~
おっちゃんか神様は、、、
何もかもが、ちょうどいいタイミングで感謝しかありません。
私の同級生とのエピソード
御霊移しが終わる頃に、私の同級生からLINEが入った。
「研修が終わったので今から教会へ行かせてもらいますね」と
高校時代(天理高校、天理准看護師養成所)、天理看護学院、そして憩いの家に就職してからも職場も同じ病棟で、今も憩いの家で働いている友人で、よく教会にも夫婦で遊びに来てくれて(子どもたち同士も何度か一緒にバーベキューもした)、おっちゃんお気に入りの看護師仲間の友達である。
おっちゃんも、お気に入りのかよちゃんが会いに来てくれて喜んでくれていると思う。
友人は癌緩和専門ナースである。おっちゃんの最期の時も、いろいろと相談に乗ってくれた。
久しぶりに教会に来てくれたから、御霊移しが終わった後にゆっくりと、おっちゃんとの昔の思い出を語り合えた。お互いの子どもたちの近況も話したりして、、、。
懐かしいひと時を過ごさせてもらえた。
おっちゃん、ありがとう😊🙏
私自身の成人
いろんなことがあったけど、住み込みのおっちゃんの性格気性柄、私とも、よくぶつかり私自身のいんねんの自覚もさせてもらったように思う。
仕込んで頂いたのだ。
そして今回の出直しの直前にやっと私は日々、朝、目覚めた時から感謝し笑顔で陽気にその日その日を楽しんで、また人たすけもさせて頂けるようになった。
そして、出直した、おっちゃん
おっちゃんの役目も終わったのかな?
住み込みのおっちゃんは、いつも私のことを
「ゆっこちゃん」と呼んでいた。
教会役員の奥さんが何度も「ゆっこちゃんじゃなくて、若奥さん、奥さんて呼びや」と何度も言ってくださっていたが最後まで「ゆっこちゃん」だった。
住み込みのおっちゃんのお顔を見ていると寝て笑っているように見える。
そして今にも「ゆっこちゃん」と呼んでくれるような気がしてくる。
そうそう、おっちゃんは主人が痛風で足が痛くて歩けない時は肩を貸してくれた。
主人は大きくて、おっちゃんは小さいのに、、、。
私が肩が凝ってダウンしている時は肩をもんでくれた。
夫婦共に甘えて助けてもらっていた。
優しいおっちゃんだった。
お見送りさせて頂くと、ただただ寂しくなるなという感情が湧いてくるが、そのことだけに囚われずに、おっちゃんがいなくなっても、少しは成人させて頂いたから、これから先もまたもう一歩ずつ成人できるように、においがけ、陽気ぐらし、人たすけの道を夫婦で力を合わせて、心を合わせて残りの人生を過ごさせて頂こうと思っている。
Beさんによる追憶Solo spaces
みたま遷しの夜に
「戦友のおっちゃんとの思い出」朗読
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