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『をもたりのみこと』

人間身の内のぬくみ
火の守護

くにとこたちのみことは、人体の器官の眼を表していますが、をもたりのみことは、具体的なイメージがわきませんね。
あえて言えば「体温」になります。

ぬくみはどこからくるのか

人間が生きている状態は
「脈がある」「息をしている」「表情がある」
「手足が動く」
そして「ぬくもりがある」ということです。

体温の元は、どこで作られているのでしょうか。答えは筋肉(骨格筋と心臓)の他にも、脳、肝臓、腎臓が大活躍しています。

体温調節のしくみ

体温は一定の範囲内に保たれています。
熱を下げるしくみは、汗をかくことです。
汗は分泌される際に体熱を持ち出し、皮膚から蒸発する過程で気化熱を奪ってくれます。

発汗には3種類あります。
暑い環境下、あるいは運動した時などに熱を下げようとする場合の他、感動や緊張など精神的なもの(冷や汗はその一つ)、香辛料や酸っぱいものなどの味覚を感じた場合です。
汗の出る原因によって、汗の出る場所が微妙に異なります。熱を下げようとする場合は、額や首、胴体の前後が、主です。精神的な原因なら、手のひら、足の裏、脇の下、あるいは顔。また味覚が原因なら顔に表れます。

体の各部で体温は変わらない

栄養素からエネルギーを取り出す(燃やす)反応の後には水が生じます。そしてエネルギーは、さまざまな細胞活動に役立ちながら絶え間なく体熱(火)を生じ、それを血液(水)が隅々まで送り届けることで体温は均等化され、その結果全身の細胞は片時も途切れることなく活動を続けられます。体温が過熱気味なら、たちまち血管が拡がって血液(水)から熱を外気に解き放つ一方、汗(水)をかくことで高効率に熱を奪って体を冷やすことで正常範囲に引き戻します。
こうしてみると、やはり自然界と同じく、私たちの体でも火と水とは循環しながらお互いに切っても切れない関係にあるといえます。

体温調節のしくみは、まさに神業ですね。

体のぬくもりの起源は

すぐに思いつくのは”お母さんのおなかの中”ですね。
私たちは生まれる前からそのぬくもりに包まれていたので、細胞が化学反応を行う条件が整っていたわけです。では、私たち人間のぬくもりの遙か昔の大元は何なのか?
それは、”お日様”です。

骨格や筋肉、内臓、内分泌腺、感覚器、神経や血管など、形(解剖)は、しくみ(生理)によって行動(衣食住その他、人としての活動)が可能になります。そして、その作用は「現在をより良く生き抜くため」と「より長く生きるため」の二つの目的があります。

私たちの体は神様のおかげで生かされているのです。

私たちの命は、気が遠くなるような遥かな過去から続いています。太陽は恒星の一つで、その輝きは百億年ほど続くそうです。”光の声”は、天理教の教えである”ひのきしん”や”陽気ぐらし” ”助け合いの心”と相通じるものがあるように思えてきます。人はぬくもりや光の声という恩恵を受け取り、そして連綿と伝えていくものなのでしょう。

※ひのきしんとは
生かされているありがたさ、その喜びと感謝の心から生まれる行動

循環器系のお働き

脳と心臓は、この「十全のご守護」の理に即して言えば、それぞれくにとこたちのみこと、をもたりのみことという二つの最も基本的なご守護の理に関わるものであります。

『基本教理を身につけよう』上田嘉太郎

として、「をもたりのみこと」については、「心臓」に関わるご守護の理をあげられています。

天理よろづ相談所病院(憩いの家)院長の山中忠太郎氏は「をもたりのみこと」のお働きについて
をもたりのみことのぬくみというお働きは、血のめぐりに関係するのです。熱を全身に伝えていくための血液の流れ、循環器系の働きが、をもたりのみことの神名で説かれているお働きにあると理解したらいいのではないかと言われています。つまり、体の隅々まで血液が行き渡り、体の一部で起こったぬくみを全身に伝えるというご守護なのです。
とお話しくださっています。

つまり、「くにとこたちのみこと」の脳・神経系のお働きと、「をもたりのみこと」の循環器系のお働きは、互いに密接不可分、文字通り「二つ一つ」(相対する二つの要因が、互いに補足し合い、ともに他を成り立たせている)の関係で連動して、人体が生きていく上での主要なお働きをしてくださっていると言えます。

また別席のお話でも、「この二柱は実の神であります」という言葉を付け足しておられるように、親神様のご守護の中で「くにとこたちのみこと」のご守護と、「をもたりのみこと」のご守護については、神様から与わる他のご守護に比べて、レベルの違う重い意味合いを持っていることが指摘されています。

※別席とは
おさづけの理を戴くために、おぢばで聞かせて頂く親神様のお話
※おさづけの理とは
病む人に取り次いで回復のご守護を願う、なによりも尊い天の与え
※おぢばとは
すべての人間の魂の故郷 奈良県天理市にある

水の理・火の理

水の理

①高いところから低いところへ流れる性質
水は水力発電所のダムのように高いところにあって初めて大きな力を発揮するものですが、自分自身では落ちていくしか仕方ないもので、火の力を借りて蒸発することで、やっと元の高いところへ上がることができます。
何かの力を借りて本来の働きがてきることに気づき「感謝する心」、自分の力だけで生きていると高ぶることなく、どこまでも「低い心」で通る。
②「水は方円の器に従う」
水は丸い器に入れれば丸い形になり、四角い器に入れると四角に形を変えます。
相手に合わせることのできる「融通のきく心」「素直な心」
③「澄んだ心」

「水と神とは同じこと 心の汚れを洗いきる」
(五下り目 三ツ)

みかぐらうた

水というものは自分を汚して相手をきれいにするという性質があります。

④「たすける心」
掃除・洗濯しかり、お風呂で体をきれいに洗った後の汚れた水はほめられるどころか、汚いものとして外にうち捨てられます。それでも不平不足を言うこともなく、今度は地面にしみ込んで植物の種を芽生えさせるために働きます。
自分の身を捨てて何かの役に立っても、ほめられることもない。それでもなお不平を言わず、次の何かの役に立っているのが水なのです。そして、さらに、低いところへ低いところへと、どこまでも「低い心」で通ります。そんな心の人の下で、次代を生きる子どもがすくすく育ちます。

火の理

お日様の理  お日様の心
お日様は四六時中休むことなく、この地球に光と熱を送り届けてくださいます。しかも、誰彼の隔てなく、すべてのものに満遍なく恵を送り続けてくださり、この世に生きとし生ける生命をお育てくださっています。温かいところには花が咲き、樹木は茂り、農作物も良く育ちます。そのお陰で、私たち人間も含めた動物はこの地球上に生存し続けることができるのです。
お日様の心とは、このように明るい心、隔てのない公平な心、絶えることなく続ける心、すべての物を産み育てる慈愛の心、何も見返りを求めない無償の心、母親の胸に抱かれたような温もりのある温かい心。

明るい心は周囲を照らします。照らされた道は歩いても危なくありません。心の闇路に迷い込んだ人も、明るい心の人を頼りとして暗闇の中から抜け出せます。夜の暗がりを一人行くのは心細いものですが、懐中電灯一つあれば何とかやり過ごすことができます。
しかし、人生には「夜の暗がり」よりもっと怖いものがあります。

夜の暗がりは通れるなれど、昼の暗がりは通れん                                 (明治34年10月13日)

おさしづ

人生行路の怖い苦しい局面でも、親神様という灯を頼りに通れば無難に通り抜けることができるものですが、「昼の暗がり」、つまり自分の知恵・力のみに頼る驕り高ぶった生き方は、生涯通れると思っていたら違うという戒めです。

火は「勢いのある心」です。蒸気機関の発明が産業革命を一気に推し進めたように、水と火が、「二つ一つ」の働きをすれば、人間世界を一気に変革させる力があります。
しかし、火は勢いのあるものだけに気をつけなければならないのは”加減”です。

明治八、九年頃、熱心に信仰し始めていた増井りん先生が、朝から大雪の日に徒歩でおぢばがえりをされました。吹雪の中、大変な苦労をしてやっとの思いでお屋敷にたどり着いたところ、教祖は、そのりん先生の冷えきった手をご自分の両方のお手でしっかりとお握りくだされて

「ようこそ帰って来たなあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで。あちらにてもこちらにても滑って、難儀やったなあ。その中に喜んでいたなあ。さあゝ親神が十分々々受け取るで。どんな事も皆受け取る。守護するで。楽しめ、楽しめ、楽しめ」

『稿本天理教教祖伝逸話篇』「雪の日」

凍えた手を教祖にしっかりと握っていただいて、誠真実の心を確かに受け取ったと太鼓判を押してもらえたこと、そして先を楽しんで通ることの大切さを諭していただいたことで、その手の温もりとともに心の不安が一遍に吹き飛んで、胸のうちに熱いものが湧き上がったに違いありません。

親神様の体内での水分調整、体温調節のご守護に対して、何とかしてご恩返しがしたいとおもうなら、こうした”水の心”と”火の心”を日々実践することが信心の勘所です。

医師と読み解く 驚き! 「かりもの」の体
より抜粋


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