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愛される人になるためには

遠く感じていた。その濃厚な甘さを知らなかったから。

数年前、僕のふるさと宮崎県に大きな波がきた。東国原知事の誕生である。

すでに「そのまんま東」として名を馳せていたその方は、持ち前の手腕で宮崎県を積極的にPR。きんかん、地鶏の炭火焼き、チキン南蛮、マンゴーといった名産品が少しずつ知られるようになり、新たに高級ブランドも生まれた。宮崎県庁はひとつの観光地になり、県内外から人が集まった。

僕はそのころ高校生で、知事の母校に通っていた。講演にきてくれたこともあって、喋りのテクニックをまざまざとみせつけられた。そんな知事や、全国に知られていくふるさとが誇らしかった。

ただ、ひとつだけ寂しく思っていたことがある。それは「名産品の味を知らないこと」だった。

全国規模で人気が出た宮崎県の名産品は、価格もどんどん上がっていった。特にマンゴーなんかは、とても手の出る値段ではなかった。

味を知らない名産品が全国でもてはやされる様子をみて、複雑に感じた。県民が知らない名産品なんて、名産品といえるのだろうか。他の県の名産品よりよっぽど遠くにいるような気がした。お高くとまっているところに、少し嫌気が差したりした。

月日が経ち、東国原さんは知事を辞めた。フィーバーは徐々に落ち着き、価格も少しずつ元に戻っていった。

そして僕はようやく、マンゴーを食べた。

味が濃い。噛むと果汁があふれだしてくる。ものすごく甘いのに、いくらでも食べられるくらい爽やかだった。全国の人々がこぞって求めていたことに、数年越しで納得した。

とたんに、「これが宮崎県の名産品だ」と誇らしい気持ちになった。友達のすてきな一面を新たにみつけたときみたいに、すっかり心変わりしてしまったのだ。

遠いところからみた姿なんて表面的なものだ。きっと、ほんとうの姿の数パーセントしかわからないだろう。だけどなぜか、僕たちはわかったつもりになってしまう。遠目からみた姿を盲信して、そこからわかったことだけでシャットアウトしてしまうこともある。これは、ほんとうの相手に気づく機会をみずから失ってしまうことだ。

相手のこともわからないし、自分のこともわかってもらえない。愛することができないし、愛されることもできない。敵だと思っているものはほんとうに敵なのだろうか。殻に閉じこもることは正しい選択なのだろうか。

愛される人はきっと近くに感じられる人だ。仲がいいとかわるいとかではなく、近くにいてくれるような気がする人。わかろうとしてくれる人。

友達じゃなくてもいいけど、愛される人になりたい。物理的じゃなくても、心でそばにいられる人。だまされないで、ほんとうを見極めたい。

誰もが持っている"甘い果実"に気づいてあげたいのだ。

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