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過去(キャリアメール)はもうふり返らない

あと戻りできないところが「人生」って感じがする。

安いらしいと聞いて、ケータイのプランをahamoに変えた。たいした下調べもしていなかったからあとで気づいたんだけど、ahamoにするとドコモのキャリアメールが使えなくなるみたいだった。

「キャリアメール」ということばに耳なじみがない方もいるかもしれない。僕は「ケータイ会社ごとに用意されているメール」というふうに認識している。アドレスの末尾がdocomo〜とか、au〜みたいなやつ。

それがahamoにしたことで使えなくなった。それもメールアドレスが使えなくなるだけじゃなく、昔のメールの内容を確認することもできなくなった。

状況が理解できてくるにつれて、どんどんさみしくなってきた。

これまでもケータイは変えてきたけど、うまいこと引き継ぎしてきた。はじめてケータイを持ったころのキャリアメールだって読めた。いまはもっぱらLINEだけど、ガラケーのころはメールが主流。思い出のほとんどがつまっているといっても過言ではない。

いままでは読みたいと思わなかったのに、読めないと思うと無性に読みたい。好きな子に送ったダサいメールも、友達と送りあった内容のないメールも、いまでもメールしか使えない人たちとの大切なメールも読めない。いまとなっては、むかし流行ったタチのわるいチェーンメールすら愛しい。

もしかしてこれは、「昔をふり返っている場合じゃない」というメッセージなのか。「前だけをみて歩め」ということなのか。それにしてもあまりに慈悲がない。『千と千尋の神隠し』のハクだって、帰るときの千尋にはもう少しやさしいことばで注意したように思う。

ミニマリスト的な発想が嫌いじゃないぶん、無駄にみえても大切なものがあるということを思い知らされた。「大切なモノは失ってはじめて気づく」とはよくいったものだ。

僕はもう過去(キャリアメール)はふり返れない。いや、ふり返らない。

身軽になったさみしい体を、めいっぱいのあたらしいことで満たすのだ。

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