[diary&column]自分の原点
2020.5.3(sun)
みなさんこんにちは、真咲まことです。
なんだかここ2・3日で一気に空気が熱を帯びたように感じて
昨日から半袖のTシャツを着て過ごしています。
半袖に袖を通しただけでも季節の変わり目を感じるけれど、
夜には田んぼからカエルの合唱が聞こえてきて、
この声を聴くと、
ああ、夏がくるんだなぁ
としみじみ実感しますね。
また、乾いた地面に落ちる
少しほこっりぽいような
土の湿った雨の匂いも
夏の匂いだと感じます。
みなさんが夏を感じるのはどんなときですか?
今回は自分の原点について。
私は小さい頃から文章を書くことが好きで、
もはや自分の人生の一部にそれはなっているくらい
文章を書くことは私にとって価値のあることです。
そのことに改めて気づかされたなと感じた瞬間について今回まとめました。
お守りになった手紙①
友だちに向けて書く手紙が
どれも泣いて喜ばれるほど好評だ。
大学生のある日、
仲が良いしのはらの誕生日に手紙を書いた。
そのときも
手紙を書こうと思ったきっかけが何かあったはずなのだけれど、
それが何だったか、なかなか思い出せない。
SNSで連絡の一切を取り合うこの時代に
わざわざ手紙という手法を用いること自体めずらしいのかもしれない。
そんな中でも筆をとったのには、理由(ワケ)がある。
しのはらと友だちになって7回目の誕生日を迎えるにあたり
今までとはちょっと違ったやり方でお祝いをしたかった。
いつもは、誕生日当日に連絡を入れて
後日、遊ぶ日に誕生日プレゼントを渡すような緩い感じが
私たちの誕生日のお祝いの仕方だ。
手紙の内容はここでは恥ずかしいので言えないけれど、
しのはらに手紙を渡すとすごく喜んでくれた。
どれぐらい喜んでくれたかというと、
そのとき就活をしていたしのはらは、
就活中はどんなときも常に鞄の中にその手紙を忍ばせていたらしい。
そんな風に言ってもらえると、
書いた側としても書き甲斐のある話だ。
嬉しいよね。
それと同時に、私は少し不思議な心持ちだった。
自分の書いた
たかが紙切れ数枚を
封筒で一つにまとめただけなのに
人生の中でも重要な場面に
持ち歩いてくれているだなんて
・・・お守りじゃん。
握ったつもりが、握られた手。
また、さらに大学卒業を控えた頃
大学で知り合った友だち4人でご飯に行った。
県外に就職する子が2人いたので
なかなか会えなくなるその2人に向けて
これまでの感謝を綴った手紙と簡単なプレゼントを手渡した。
二人ともとても喜んでくれた。
とくに、そのうちの一人の子は手紙をカフェで呼んだらしいのだけれど、
手紙を読んでカフェで泣いたと話していた。
彼女の場合は、保育士を志望している女の子で、
周りが大方就職先が決定している中で
彼女の場合はまだ就職報告ができない状態のようだった。
そんなとき、仲の良い4人でご飯に行こうという話が出ていた。
幹事は言い出しっぺの私がやることになっていたので、
そのお誘いのために彼女に連絡をとった。
そんな状況を私は知らなかったとはいえ、
彼女にとっては間の悪いときに連絡をしてしまったなと思った。
どうしても第一志望に行きたくて妥協できなくてという彼女。
試験も面接も済ませて
あとは結果を待つだけなのだが、
コロナの影響が出始めた頃でもあったからか
市役所からの連絡が遅れているらしい。
「だから、まだ内定が出てないから就職報告できないんだよね(汗)」
控えめなハの字眉の
笑った絵文字と共に送られてきた内容に
なんだか申し訳なくなった。
1番不安だし、
そんな風に他人に言いたくないのは本人のはずなのに、
こちらに気を遣わせてしまっている。
人生の岐路に立つ彼女の不安や焦りなんかが
手にとるように分かって、
私がかける言葉はおのずと分かった。
「○○のそのこだわりはとてもいいことだと思う。大学に入ったのだって保育士になることが目標だったんだもんね。その選択は間違いじゃない。大丈夫だ。」
間違いじゃない
大丈夫
そう言ってもらえるだけで、
どれほど気持ちが救われるか。
自分にとってはごくごく当たり前のことを言っただけなのだけれど、
彼女はすごく喜んでくれていて、
こんなことで喜んでくれるなんて、
言って良かったなって胸のあたり温かくなる。
このとき気がついたのだけれど、
【握ったつもりが、握られた手】
と歌の歌詞にもあるように、
私もそうだったのかもしれない。
友だちを通して私の方が救われていたんだ。
もしかしたら私は、
無意識のうちにこのような場面で
自分の存在意義や自分の価値の
証明をしているのかもしれない。
↑ ちなみに、歌の歌詞は菅田将暉さんの「ロングホープ・フィリア」。ヒロアカ大好きです。
誰かの心に寄り添えることが私の生きがい
私が文章を書きたいと
思うようになったきっかけは、
小さい頃に自分で書いたお話だった。
闘う女性を主人公にしたお話を書くことがすきで、
物語を書くと、
家族は将来は小説家になれるのではないかと
喜んでいるくれたことを今でも覚えている。
家族が褒めてくれた言葉が、
今の私の人生を形作ってくれている。
それはきっと、紛れもない事実で、
さらに私は少なからずそれによって救われている。
文章を書くという手段を
知っていたことだけでも
私にとっては最大の武器であることに違いない。
私には書くことしかできない。
そして、痛みを知る分、人の心に寄り添えることができる。
自分が体験した嫌なことも
文章を通じて同じような境遇の人たちに読んでもらって(1番初めにも書いたけど)
心の痛みや傷を癒すことができたなら、
手紙のように
少しでも前向きな気持ちにさせられることができたなら、
私の夢は
半分叶っているも同然なのかもしれない。
最後まで読んでくださり
\ありがとうございます!/
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