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長崎の午前十一時二分、灼熱

長崎ながさき午前ごぜん十一時じゅういちじ二分にふん灼熱しゃくねつ

 だが、サチ子がいちばん悲しいのは恒夫も春江もいつか教会に行くのをやめてしまったことである。小さい時は彼女に教えられて小さな手をあわせていた恒夫が高校生になると、
「どうして、母さんがまだ信じる気持を持っているのか、わからないなあ。もし神さまがいるのなら、どうして長崎の信者をたくさん原爆で殺したのさ」
「じゃあ、あんたたち、たとえばアウシュヴィッツの出来事も神さまがなさったことだと思うの。あそこでもたくさん信者が殺されたけれど。原爆だって同じじゃない?」
 サチ子は反駁した。
「それは無実の神さまに罪を背負わせることよ」
 しかし、子供たちは少しずつ、日曜日も教会に行かなくなった。

遠藤周作『女の一生 二部・サチ子の場合』
ジョージ・フレデリック・ワッツ
《十字架下のマグダラのマリア》1866 - 1884年
ウォーカー美術館

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