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文弱の徒なり、スポーツの日は寝る

文弱ぶんじゃくなり、スポーツの

しかし私はあの時代に権カや戦争をかさに着て文弱の徒を叱ったような人間にはなりたくない。いまは、あまりにも文弱の精神が日本中に流れ切っているために、それに対して私自身が自分の青春の心理から、いかに文弱の徒というものがずるい精神構造を持っているかということを思い知らせてやりたい気持が強まるのである。文学と言うものはちょうど蟹が穴の中に身をひそめるように、安全地帯に籠ろうとするには最適の仕事である。なぜなら、文学は何とでも言い訳がつくからであり、文学の世界はこの現実の世界とは何のかかわりもないという前提にたって、どんな批評もできるからである。そして、ほんとうの文弱の徒とは、文学以外のすべての関心と努カを放棄して、文学の中でだけ許されるような無道徳、ふしだらを自分の生活の理想として、人に迷惑をかけて省みない人たちのことである。

三島由紀夫『若きサムライのために』
オッド・ネルドルム《塵を舐める者たち》2005年

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