僕と彼女は、箱推しになれない 第二章
「ハァハァ…………」
駅から走った甲斐があった。呼吸は乱れているが、どうにか開演時間に間に合いそうだ。。今日は対バンだ。電子チケットを見せてドリンク代を払い、佐伯(さえき)稔(みのる)は入場した。喉が渇いていたが、残り五分足らずでフォルツハーツの出番だ。見逃したら、努力が水の泡だ。少しでも前で観るため、フロア前方に向かった。既に二十人近いオタクが待機している。見知った顔触れが揃う。最前列に立ち入る余地は無さそうだ。
(最前列に居たらむさ苦しいしな。オタクの頭上越しにまた見なきゃならないのか。邪魔だな)
心の中で毒づいた。土曜日なのに仕事はないのかと勘繰りながら、彼らの後方でペンライトを取り出す。グループカラーの赤色を灯す。登場を今か今かと待ちわびていると、清涼な音楽が流れてきた。明滅(めいめつ)する照明に紛れてメンバーが登場。ツインボーカルのはるるんと柚希が前に、ダンスメンバーの三人は後ろにセットした。野太いオタクの声援があちこちからあがった。耳をつんざく。
「ゆずっきーーーーーーーー」
「はるるん!可愛いよーーーーーーーー」
声はすぐやんで、のぞみんが高らかな声で開始を告げる。
「二曲続けて聴いて下さい『信じたい未来を』『熱情インスパイア』」
『信じたい未来へ舵を取れ!今の自分信じてーちっぽけな無理を重ねた僕たちは未熟な後悔をしていた~どうせ無理だと諦めていた~あの頃を拭い去れずにいた~でももぉ振り返らない~
さぁ一歩踏み出そう、未来へ向かおうどんな困難も怖くない~自分の赴くまま挑み続けろ~最高の自分へ~どこまでも歩み続ける~大変な過去を思い返して泣いた夜も、自分を否定して足掻いた夜も無駄じゃないさぁ、自分を超えよう~未来へ羽ばたこうどんな境遇が待ってても~信じたい未来があるんだ。だから、もう諦めない~挫けず進め!』
短い拍手が起こり、すぐに二曲目が始まった。
『迸(ほとばし)る熱情が君に伝わればいーいのにどうしても伝わら~ない、この逡巡(しゅんじゅん)を抱えたまま~ いつだって~君の背中追うことを目標にしてたーだーけど距離は遠ざかるばーかりだー、そんな日が続いても灯は消さない!素直な感情を伝えたい
だーいすきそう言うだけで、心が潤(うるお)うんだよ!どーんなに離れていても私―は諦めなーい、あぁ、落ち込んだ毎日が希望に変わるそんな日を夢見ていたいんだ!だから、どうかこの気持ち伝われーー無邪気(むじゃき)な笑顔の君もー辛い顔している君もー不器用に怒る君もー泣き顔が似合わない君もーそのすべてが愛おしーい
だーいすきやっとー伝わったかなぁー大好き』
「俺もーーーーー!」
オタクのレスポンスで二曲目が終わった。
(いい曲なのに、最後で興(きょう)ざめだ)
そのままメンバーの自己紹介に移った。のぞみんの一声で始まる。
「はいっ。私たち“親しみやすいアイドル、フォルツハーツでーす!自己紹介します。私が言ったら、輪唱(りんしょう)してくださいっ。いきますよ」
『夢を望め』
「ゆーめをのぞめー」
『未来を託せ』
「みらいをたくせー」
「はいっ。リーダーののぞみんこと白木希海です!よろしくお願いしまーす。次はまりっか」
「まりもじゃないよ!まりかだよっ!みんなを陰から支えまーす、土井(どい)万里(まり)香(か)です!楽しんでいってねー。次はるなち」
「頑張りすぎるな!涙を見せるな!可能性捨てするな!努力を忘れるなー!はーい。がむしゃらなムードメーカー佐々木瑠那(ささきるな)です。次、ゆずっきー」
「はーい。みんなのスキをゆずきに譲ってくださーい。みんなの心の特等席にいさせてくださいっー加賀(かが)柚(ゆず)希(き)です。最後はるるん」
「はいっ!あたしがファンのみんなの光になりますっ!光をめいっぱい浴びてね。晴れの香り漂(ただよ)う晴れガール、川瀬(かわせ)晴(はる)香(か)ですっ」
はるるんが喋ると、オタクの熱気が如実に増した。流石グループ一の美人だ。その熱気のまま新曲の「春色ラビリンス」を披露し終えて彼女たちの出番が終わった。ライブ後は三時五分から特典会だ。すぐにフロアから出てトイレの個室に駆(か)けこんだ。
「いやぁ、相変わらず密集度がすごかったかな。汗かいたし、上だけ着替えるか」
タオルで汗を拭きとり、素早く着替えを済ませて通路に出ていく。入口とフロアを挟んだスペースで特典会は行われる。目当てのアイドルの出番が最後の方だと、二ショットを撮る他のグループのオタクの列と交わり、どの列がはるるんの待機列かが分からなくなる。トップバッターで良かったと安堵した。特典会が行われるブースに移動した。時計を確認したらちょうど三時だった。既に先ほどのオタク達も居る。思い思いに推しメンの話をしているみたいだ。リュックからチェキポーズが載った本を取り出し、ページをめくる。これを貰った日のことは今でも鮮明(せんめい)に思い出せる。
※
中学三年生の秋に遡る。その当時、僕は些細(ささい)なからいじめを受ける羽目になった。転校生の男子が物静かな子でクラスに馴染(なじ)めず、転校生なのにノリが男子生徒に悪いと避けられていた。自分だけでも味方でいようと思い立ち、彼を庇うようになった。ある日の休み時間、浅黒い肌の男子が僕の席に来て睨みつけながら「あいつは無視しろ」と言った。曲がったことが大嫌いだった。「漫画のような転校生ばかりだと思うなよ」と正論を振りかざした結果、いじめの標的(ひょうてき)が僕に移ったのだ。それからは保健室登校に変えた。志望校のランクを二つ下げて合格し、無事に卒業できたのだが、生身の人間関係に向き合うことから目を背けるようになった。それを案じた父がかけてくれた言葉が今の僕に繋がっている。
「無事卒業出来て本当に良かった。高校は自分で進路を選ぶ困難があると思う。そんな時に支えてくれる存在がいるのといないのとでは人生の充実感は変わってくるんだ。父さんはみのると同じ年の頃、アイドルに支えてもらったよ。テレビに出るアイドルは距離が遠くてコミュニケーションを取る機会が少ないから、地下アイドルを応援することから始めたらどうだ。そんなみのるにプレゼントだ」
「付箋(ふせん)と、これは……」
「チェキポーズ集だ。アイドルのイベントにチェキ会っていうのがあるんだ。百種類のポーズが載ってる。撮ったものに付箋を貼っていくといい。撮った後にアイドルの様子をよく観察して、読み取れる感情に近い色を貼ってみると面白いぞ。全てのページに付箋がついた時にはきっと対人不安も良くなってる」
「ありがとう」
父さんなりの優しさに胸がじんわりとした。目頭を熱くして僕を抱きしめてくれた。温もりを今でも忘れることはない。
半年後、アカウントを作れば、誰でも投稿できるbinder(びんだー)というアプリで新グループ結成の投稿を見た。父さんの進言(しんげん)通り、何もわからないままライブに行き、はるるんに出逢った。美人なのに地下アイドルという驚きを隠しきれないまま二ショットチェキを撮った。高一の秋のことだった。応援し始めたての頃を思い返していると、メンバーの声がした。
「今からフォルツハーツ特典会始めまーす!よろしくお願いします」
うじゃうじゃと二ショットチェキ券購入列が形成されていく。購入した人から撮影に移るのだが、前に並んでいたオタクの約半分は、はるるんが立つ正面に並んでいた。僕もサイン付きの方を一枚購入し、待機した。待つこと十一分、ようやく僕の番になった。透き通った声で出迎えてくれた。
「みのっち‼今日もありがとう何のポーズにする?」
「二人でハート作りたい」
鶴(つる)瀬(せ)がインスタントカメラを構えた。
「じゃあ、撮りまーす、はいポーズ」
彼は直ぐにチェキをはるるんに渡した。絹のように艶めいている髪は後頭部で丸く束ねられている。僕の手前に来た。前髪が揺れてバニラのような甘い匂(にお)いが漂う。並んでいるオタクを背にして向き合った。一目見ただけで胸が高鳴った。切れ長の涼しげな目元に色素の薄い瞳。シュッとした鼻筋。鮮やかなチェリーピンクの唇―淡いピンクのプリーツスカートは膝上で揺れている。
「コメント書き書きするね、話そう!」
「うん!新衣装凄く似合ってるよ。春らしくて、凄く似合ってるよ」
「ありがとう!この衣装可愛くていいなって思ってる。褒めてくれるの嬉しい。みのっちも眼鏡変えた?」
「よく気付いたね。そう変えた」
「やっぱり!前さ。縁に色がないやつだったよね。シルバー似合ってるよ」
「ありがとう」
「うん、また来てね!ありがとう。じゃあね」
一分弱はあっという間だった。はるるんは春の陽だまりのように柔らかな笑顔で手を振っていた。右手で振り返した。すぐさま撮りたてのチェキを保護ケースに入れた。本半透明の黄色い付箋を貼った。今日も神対応だった。ファンとして僕は誇らしい気持ちになる。特典会は五五分弱で終了した。今日、初めて特典会に参加した方はサイン入りを一枚無料だったので、人が多く普段以上に盛況(せいきょう)していた。はるるんだけが目当てである僕は会場を後にした。ちらっとチェキを見る。僕らは綺麗なハートを形作っていた。
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