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僕と彼女は、箱推しになれない 第五章

 『夏が過ぎれば私の季節がやってくる』と吹聴してみたいけど、ダンスメンバーの土井万里香では言えないと諦めている。それに気どるキャラでもない。最年長のくせにマイペースでどこか抜けてると自覚している。

(リーダーになれなかったのも納得だなあ)
 
今更考えたところで無意味なことを考えてしまう。今日は日曜日で久々のオフの日だ。メンバーの中には外に出かけて楽しむ子もいるみたいで元気だなと思う。九月になれば暑さは和らぐと思っていたが、まだ夏の名残を感じる程には暑い。肌にじっとりと滲む汗を流そうと思い、お風呂に向かった。鏡で自分の顔を見る。夏のライブは外が多かった。日焼けに警戒して、PA++++のものを塗っていたおかげで、そこまで変化はなかった。日焦った様子で戻ってきて全員揃った。日焼け止めは色白の子が塗っている印象を持たれがちだが、それだけではないことを分かってほしい。
「どう見られているかばかり考えるな」
万里香は自分を戒(いまし)め、消極的な考えをシャワーで流した。 
一週間が経つのはあっと言う間だ。今は、ライブを終えて特典会をしている。万里香はグループを宣伝するためのビラ配りの最中だった。撮る人がいなくなると、宣伝に廻される。普段は、二人が暇になってやるけれど、最近その相方がいない。

(柚(ゆず)希(き)、どうしちゃったんだろ)

ビラを配っていると、小汚いおじさん三人衆に捕まった。真ん中にいる髪の薄い男が得意満面な笑みで言う。
「四人しかいないじゃん、どの子がいないの?」
「右から二番目の加賀柚希って子がいないです」
「よくある体調不良とかだろ。どうせ不仲なんだろ。地下アイドルだしな。まぁ哀れだから、時間があったら行ってやるよ」
どっと笑いが起きた。真ん中の男につられて二人もげらげらと笑って立ち去った。

(来てもらわなくて結構) 
  
他にも不在をせせら笑って聞いてくるオタクが多数いた。その度に柚希の名前を言っている。公式のHPやbinder(びんだー)のアカウントには『体調不良のためお休み』と表示されているが、柚希本人の意図する表現ではないことを私は知っている。考えを巡らしていたところで声をかけられた。 
「万里香!ビラ配り終わり。もうそろそろ終わるから集まって」
黒木(くろき)に呼びかけられ、考えることを中断せざるを得なかった。 

「フォルツハーツ特典会終了します!ありがとうございました」
希(のぞ)海(み)が特典会終了を告げ、速やかに撤収(てっしゅう)となった。万里香は柚希のことが気がかりで、近くにいた瑠那(るな)に話しかけた。
「瑠那、柚希のこと何か知らない?オフの日、一緒に出掛けてたよね?」
「えっ、柚希か。どうしちゃったんだろうね。私も知らない」
「瑠那といたとき何か変わったところなかった?」
「何も変わりなかったよ、具合悪そうでもなかったし」
「ライブ多かったし、夏風邪かもしれないしね」
「きっとそうだよ。万里香心配し過ぎ」    
そそくさと前方にいる希海の隣に戻っていった、先ほどまでいたはずの晴(はる)香(か)は見当たらない。

(それにしても、瑠那の髪型、晴香とそっくりだなぁ)

普段は他のメンバーの誰もがやりたがらない高めのツインテールなのに、最近は晴香をと同じポニーテールだ。身長の違いでどうにか見分けられるけど、遠くから見たら間違えてしまいそうだ。ちなみに、万里香は生粋のショート派でショートボブだ。長いとダンスをする際に念入りなセットをしないと乱れるから、その心配をしなくていいからという安易な理由でこの長さを保っている。セミロングにしているのそみんぐらいまで伸ばそうと考えた時期もあったが、メンバーと被らない方が自分を出せると思いやめた。自分を出せているかは微妙だけども。そんなことを思っているうちに楽屋に着いた。未だに晴香が戻ってこない。黒木と何か話していたのだろうか。
普段通り、binder(びんだー)に載せる為に自撮りをしていた。瑠那は晴香がいないのをいいことに、希海とくっつき合って写真を撮っているようだ。瑠那からのアプローチに希海は少し困惑しているように見える。万里香はちょっかいを出そうと、二人の横に立ち、朗らかな声で話しかける。
「お二人さーん、何してるの?」
「のぞみんにポッキー咥え合って撮ろうって言ってるんだけど、なかなか応じてくれないの」
「るなち、今日ポッキーの日じゃないでしょ。ファンの人に何してるんだって思われちゃうよ?」
「二人ともイチャイチャしてるなぁ、私も混ぜてよ。ダンスメンで撮ることなかなかないしさ」
「そうだね、うちらツーショット多いし、るなちポッキーは今度にしよう、チョコ溶けてたら手汚れちゃうし」
「約束だよっ、ポッキー買っとくから」
スマホを持つ手を伸ばして写真を撮った。撮った直後に瑠那が悪戯っぽい笑みを浮かべた。声を潜めて言う。
「万里香さ、今撮った写真、晴香がいないうちにさ、加工しちゃおうよ」
万里香はためらった。事務所が晴香を推していることは週刊誌の表紙の抜擢から見て取れるからだ。晴香は加工をしていない写真を投稿している。このグループの暗黙の了解になっているのを覆していいのか。脳裏を過った。
「晴香に怒られちゃうんじゃ……」
一瞬、希海の口角が引きつったように見えた。
「やめといたほうがいいんじゃない?はるるんプライド高いから譲らなそうだし……」
「えー、いいじゃん。二人ともノリ悪いなぁ。お願い!今撮ったやつだけにするから。万里香LINE開いて。写真送って」
「えっ……」
「優柔不断なんだからぁ」
何と返事すればいいか迷っているうちに万里香のスマホが取り上げられた。瑠那は画面をスクロールして加工アプリを開いた。慣れた手つきで指を動かしていく。まるで魔法をかけているみたいだ。
「二人とも、私にお任せでいい?」
「うん!」
希海と返事が重なる。クスッと笑い合った。ややあって、瑠那の指が止まり画面を見せてきた。
「美顔フィルター使って盛っておいたよ!のぞみんと万里香に後で送るね」
「ありがとう。るなち加工こんなにうまいんだね」
二人は微笑んでいるが、万里香の胸中は複雑なままだった。投稿しないことを願った。楽屋に誰かが向かってくる足音が聞こえる。扉が開くと二人とも我に返ったのか、加工を楽しんでいたこと自体、無かったかのように、黙々と帰り支度を始めた。晴香が異変を察したら気まずいことになる。この瞬間を取り繕うために万里香は晴香のもとに駆け寄り、声をかける。
「戻ってくるの遅かったね」
「ちょっとね、鶴瀬マネと話しててさ」
「そうだったんだ。ずっと気になってたんだけど」
「何?」
「いつも晴香の列に並んでいる学生っぽい人いるじゃん。同年代で羨ましいなぁって」
「あー!みのっちね。本当か疑っちゃうけど、推しメンあたしだけなんだって」
「いいなぁ、一途に思ってもらえるなんて。でも変わってるよね。オタクは私だけって言うけどさ、どうせ裏で他の子にもいってるからなぁ。binder見れば分かるよね。見たことある顔だって。そういえば、彼投稿してなくない?」
「そうなのよ。欲を言えば、撮ったチェキをbinderとかSNSに投稿してくれたら嬉しいんだけどなぁ……」
万里香はオタクの名前までを覚えようとしない。晴香の意識の高さに心の中で拍手を送ったところでドアをノックする音がした。黒木と鶴瀬が入ってきた。話を中断し、帰り支度を始めた。今更ながら、瑠那に何かあったのか、聞こうとしていたことを思い出した。

帰りの支度を終えた四人は鶴瀬に集合をかけられた。誰もが良い知らせだとは思っていない表情をしている。
「柚希の件で伝えなきゃいけないことがあって集まってもらった。みんなが知っている通り柚希は今日初めて休んだ。心配で柚希の家に電話をした。親御さんが出てくれた。様子を見させて下さいと頼んだが、そっとしておいてくださいとの事だった」
鶴瀬の表情がくもった。希海はこめかみを押さえている。晴香は俯いていて表情が良く見えない。瑠那は眉根を下げ、思い詰めた表情で言う。
「ゆずっきーは大丈夫なんですか……体調不良だけなんですか?」
語尾が上ずっていた。
「今から言うことは公式で発表するから言わないでくれ。柚希は……場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)になった」
「場面緘黙症ですか……」
誰かが言うと思ったのか、恥ずかしかったのか、希海は手で口を塞いだ。
「分かりやすく言うと、特定の状況に置かれたときに声を出せなくなる、精神疾患(しっかん)の一種みたいだ。こういった形での一時休養となって僕以上にみんなは不安だと思う、だから、声をかけたいと思う気持ちを抑えて、そっとしてあげてほしい………私からのお願いです」
瑠那は一生のお願いをするときに駄々をこねる子どものように、涙目になりながら必死に疑問をぶつける。
「どんな時でも当てはまるんじゃないなら、活動しても問題ないんじゃ?」
「残念だが、活動しているとき、とりわけみんなといる時に症状が出るらしいんだ」
私たちを黙らせるのに充分過ぎる事実だった。続きの言葉は誰からも出ない。本音ではどう感じているんだろう「柚希はボーカルだから休むと迷惑だわ」と腹黒い考えを抱いていなければいいなと思った。鶴瀬は一息ついて話題を変える。
「今日は希海にボーカルをやってもらったが、柚希が帰ってくるまでの間は万里香にボーカルを任せることにした」
一瞬、耳を疑った。晴香と相性のよさそうな希海だとばかり思っていたからだ。
「えっ、私がですか。ありがとうございます。頑張ります」
年齢に見合わない喜び方に映っただろう。唐突に嬉しいことがあると、反応に困るんだと二十二歳にして思った。
「まりか、しばらく一緒だね。よろしく」
晴香の汚れのない瞳に見つめられ、どぎまぎしてしまう。 
「マイペースにならないように気を抜かず頑張る」
返事をして話が終わった。喜び過ぎないよう気をつけて、メンバーと帰路を歩んだ。そう配慮しつつも本音は満ち足りている。

(やっと私の季節が来た、柚希の代わりを全うするぞ)

力が漲(みなぎ)るのを感じ、独り意気込んだ。西に沈んでいく夕日は私だけを一心に照らしていると錯覚するほど、気分は高揚していた。

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