僕と彼女は箱推しになれない 第九章
冬休みが終わり、三学期になると進路に向き合わざるを得なくなる。高校は休みボケをしている度合いを測りたかったようで、予備校の模試を土曜日に受けさせられた。そのため、年が明けてからまだ一度もはるるんに逢えていない。アイドルに現を抜かしすぎるのはよくないと分かっている。会えない分会いたいが募った。スマホのカレンダーと公式サイトを見ていく中で、建国記念の日に早めのバレンタインデーライブがあると知った。学年末まで時間があり行けそうだ。先日、父から地下アイドルのバレンタインデーライブについて聞いた。グループごとに趣向をこらしているらしい。あるグループは特典会でチェキ券をまとめて買うと、くじが引けて大当たりだと、手作りチョコがもらえる。またあるグループは特典会でメイド服を着て、チェキを撮った方全員にメンバーの顔写真が印刷されたチロルチョコがもらえたりと様々だ。フォルツハーツが何をするのかはバレンタインデーの週に入るまで情報解禁しないようだ。メンバーはお菓子作り得意なのかと勘繰った
建国記念の日、僕は会場の最寄り駅である秋葉原にいた。腕時計を見たが、時間に余裕がある。電気街口から会場を目指す。大通りに出ると、昼間にも関わらずメイドカフェの女の子が通行人に声をかけている。メイドさんの後について行っているのは大概おじさんだ。秋葉原に来ると遭遇する。最近では、メイドカフェのPRのためのMVまであるらしい。地下アイドル市場に参入してきているメイドカフェまであるほどだ。アイドルと一緒の舞台に立たないでほしい。binderを見ていると、たまにメイドとのチェキを見かける。メイドの表情を見たが、そのすべてが笑っていなかった。瞳の奥に感情がないのだ。決まりきった対応しかしない相手によくお金を使えるなと思う。それに化粧も濃く年齢まで不詳となると、行く気にならない。時給で働き、チェキもお店の利益になってしまうメイドは最低限の対応しかしないのは分かりきっている。これがアイドルなら、チェキでの利益はメンバーにも何割か還元されるので、一辺倒な対応をされることなく感情を出す対応をしてくれる。メイドに騙されてホイホイついて行っているのを見る度、哀れだと思ってしまう。
そう考えているうちに、秋葉原フレールに到着した。いつもの手続きで中に入り、ライブフロアの後方ではるるんの登場を待った。
衣装は出てくるまでのお楽しみになっていて客を引き付けやすい宣伝だと感心した。そんなはるるん達は残り五分で登場する。カバンの中身を漁り、ペンライトを取り出した。
緑ばかり使うので、他の色より光の灯り方が弱い気がする。カバンの中をスマホのライトで照らし、予備のペンライトをどうにか取り出した。こちらの方は正常に光った。使いこんだ方をしまって前方に移動した。最前列はおろか二列目も既に入る余地がなく、三列目の左端で見ることにした。タイミングよく暗転し、SEが流れた。照明が点き現れた彼女達、期待を裏切らないところが流石だ。万里香以外の三人は黒のメイド服で、万里香だけなぜか執事の格好だった。まるでお屋敷の執事に仕えるメイド達のようだ。恋愛要素の多い「純情不乱」「ハートフルスター」を披露し終わり、特別なメイド風の自己紹介をして大いに盛り上がった。街頭に立っているメイドなんかより何倍も可愛いはるるんに目が釘付けになった。バレンタインデー仕様の高めのツインテ―ルだ。
ダンスメンの希海と瑠那もツインテールが揺れ、可愛さが増していた。万里香の執事も違和感がなく、良いアクセントになっている。そんなことを考えていると、特典会のことを希海が説明し始めた。
「今日はバレンタインデー週間ということで、コメント付きとなしチェキを合わせて五枚購入してくださった方、クジ引きが二回出来ます。S賞はなななんと!メンバー手作りの本命かもしれないチョコです。こちらが4名、続いてA賞はーチョコを作るメンバーの様子を収めたブルーレイディスクです。これも貴重ですよ!こちらは五名様限定です」
瑠那が特別感を出す言葉で煽る。
「今年だけかもしれませんよぅ」
はるるんが微笑んで付け足す。
「すごく貴重だね、世界に一つしかない手作りだから、是非挑戦してね」
「やるしか!」
「ほんとに、てづくりなのー」
口々にオタクが叫んだ。その声がやんで希海が説明の続きを言う。
「手作りです!チョコの方は、貰いたいメンバーが被った場合あみだくじで決めます。4人の方は負けても誰かからチョコが貰えます!頑張ってください」
その後もクジの賞品について説明していった。早いもの勝ちではないようだ。
「では、最後の曲です!聞いてください、イノセントラヴァ―」
最後は最前列のオタクを皮切りに、手を下から上に掬う動きを伴いながら、大半がジャンプをし始めた。僕も気分が高揚してその場でジャンプした。謎の一体感が生まれ、最高潮の熱気を体中で感じとれた。オタクはアイドルとこうやって高ぶる感情を分かち合っているのか。身体をめいっぱい開放して羽目を外すのもたまにはいいなと思えた。
特典会が始まった。今日こそ奮発する日だと思った僕は、すぐ並んだ。まとめて五枚分買うことを決めて。仮に今日チェキ券をT買いきれなくても、後日撮れるのでいい。前には、三人オタクがいた。
(お願い、S賞だけは当てないでくれ。はるるんも同年代の僕に貰ってくれた方が絶対に嬉しいはず)
願わずにはいられない。自分の番が近づくにつれ、鼓動が早くなっていく。そしてついに勝負の時が来た。
「おっ、久しぶりだね。クジ挑戦する?」
鶴瀬は微笑みつつ、朗らかな口調で尋ねた。
「します!コメント付きを3枚、なしを2枚ください」
臨むところだ!毅然とした態度でそう返して、軍資金の六千五百円を支払った。なしを4枚にして千円安く済ませる小賢しいマネはしない。
「はい、じゃあ2回この画面をタッチしてください」
画面を飛び回るクジを凝視し、目を瞑ってタッチした。
「あー、残念E賞、メンバーの顔が印刷されたチロルチョコです」
悔しい。次がラストチャンスだ。神様お願いします。どうか僕の左手に力を宿してくださいと願った。呼吸が浅くなりつつある中で力強く押した。これまでに推してきた想いを込めて。
「カランカラーン、おめでとうございます
見事S賞大当たりです!」
(えっ、嘘、マジで!この僕が当たった)
半ば放心した状態で画面を見た。金色に彩られた紙にS賞とはっきり書かれていた。
「やったぁ!当たったぁ!」
ガラポン抽選会で特賞を当てた時の子どものように、思いっきり喜んだ。鶴瀬のそばにいたメンバー達も目立たないように、祝福してくれている。思わず感極まっていた。そんな様子の僕を見て鶴瀬が祭りの屋台のおじさんのように威勢の良い声をあげる。双方、わくわくしている。
「誰のチョコを希望ですか?」
「はるるんです!」
「聞かなくてもそうだと思ってたよ、おめでとう!帰らないで待っていてね」
「はい、もちろんです」
悦に浸ったまま、邪魔にならないように少し離れた。心なしか、瑠那の顔がくもっているように見えた。
すっかり忘れていた。先着順ではなく『押しが被ったら』あみだくじだということを。
購入の時間が終わり、チェキ撮影に移っていた。S賞を引いた四人の中で、はるるん希望はなんと、自分を含め三人いた。一人はこのグループのオタクに最近なった地蔵オタクで、もう一人は絶対に渡したくない相手。そう前島だ。その前島が牽制する。
「小僧、久しぶりだな。最近見ないから他界したと思ったぜ。相変わらず鬱陶しいな、悪いが、チョコは俺が頂く」
「いいや、はるるんへの愛なら誰にも負けない、眼障りな奇行ばかりで、新規が親しみづらい場にしているあなたには負けない」
「お二人とも、俺がいるの忘れてない?」
前島と対峙し、徹底抗戦を主張した。そこに鶴瀬さんが割って入る。
「はい、S賞の方集まりましたか?みのっち、前島さん、富岡さんで間違いえないね?早速始めます。じゃんけんで勝った順に、線を選んでください。負けた順に線を一本ずつお三方は引いてください」
じゃんけんの結果、富岡、僕、前島の順に線を選んだ。それぞれ、真ん中、右。左うぃ選択し、僕はあみだが決まる寸前の下の方に線を書き足した。鶴瀬がこちらの出方を窺いつつ問いかける。
「誰から結果を見ますか?」
「お二人がいかなそうなので、私からで」
「富岡さんですね、辿ります、ようしょっと。瑠那です」
これで僕と前島の一騎打ちとなった。片方ははるるんに、もう片方は万里香につながっている。
「二人同時にいくよ」
鶴瀬が線を辿っていく様を固唾をのんで見守った。緊張で手にじんわりと汗をかいている。「はるるん来い!」そう願った。
「決まったぞ、前島さんが万里香、みのっちが晴香!」
耳にした瞬間、鳥肌が立った。RPGゲームで、ラスボスを倒した時と同じ達成感と爽快感が去来した。運での勝負だが、前島との一騎打ちに勝った。悪党は負け犬の遠吠えの如く大声を出す。
「くそっ、ついてない。はるるんの手作りはお前にくれてやる。この借りいつか返すからな、覚えてろよ。噛みしめて大事に食べろよ」
前島はそれだけ言って、鶴瀬から手渡された万里香のチョコを乱暴に受け取り、取り巻きを連れて帰っていった。不貞腐れる様がかっこ悪いし大人げないと思った。鶴瀬が丁寧にシチュエーションを聞いてくる。
「みのっちはどうしたい?チェキ撮る時に晴香から実物を渡すでいいかい?」
「はい!それでお願いします。良ければ、
はるるんにチョコ持ってもらってチェキ撮りたいです。いいですか?」
「いいよ!黒木さんと交代するから任せておいて」
メンバーの方に戻った。時計を見ると、特典会終わりまで残り十分しかなかった。今日はクジを引くのに時間を割いたため、いつもより時間がないのだろう。取り損ねないようにすぐ並んだ。割と早く自分の番がきた。
いよいよバレンタインチョコを貰う時が来た。胸が波打っている。
「次の方どうぞ」
「みのっち、S賞おめでとう!私のリクエストで渡すときの一コマにしてみよっか」
「うん!」
はるるんと向き合った。女の子が好きな男子にチョコを渡す前のそれだ。直で見つめ合うのは初めてだった。背は僕の方が少しだけ高い。上目遣いをしてきたはるるんの透き通るような瞳に白い肌、メイド服の黒と白が絶妙なコントラストを生んでいる。夢見心地な気分でこのまま時間が止まればいいのにとすら思った。カメラがフラッシュするのなんて気にも留めてなかった。
「みのっち!今年初めましてだね!今年もよろしくね」
「冴えない僕だけど、こちらこそよろしく」
「そんなことないよ!私だけ推してくれるその姿勢が嬉しい。愛情たっぷり込めたチョコ今日中に食べてね!」
「食べるの勿体ないなぁ、飾りたいくらいだよ」
「ちゃんと食べてね、はい!いつも以上に書いたから、後で見てね」
「ありがとう!最高だった」
「うんっ、バイバイ!」
手を振ってきた愛する推しに振り返してお別れした。心なしか、どこか寂し気な顔をしているように見えた。何かが引っ掛かっているような表情だった。
この時、最後のチェキになるとは思いもしていなかった。
♢♢♢
隣に座っている真壁が酔いが回ってべろべろになった俺を見た。
「前島さん、まだ飲むんすか。酒強いっすね。例の小僧、まだ気づいてないみたいっすね」
「まぁな、掲示板なんて見ちゃいないよ、存在自体知らんだろーよ、それよりこの義理チョコいるか」
「いいんすか、まりまり推しなんで嬉しいっす」
「真壁はほんとっ箱推しだよな、すげーぜ。はるるんの生態以外、興味ないからよ。それにしてもメイド最高だったな」
「前島さんが小僧とやり合ってるうちに、何ループしたことか、はるるんと撮んなくてよかったんすか」
「いいわ、気乗りしないときに撮りいかねぇーよ」
「まぁそうっすよね。いわさん、結構撮りましたねぇ、どれどれ、どれもよく撮れてますねぇ。顔はいいのにおっぱいは……」
話に入るタイミングを見計らっていたが、岩瀬は真壁に思うところがあり、話に割って入る。
「真壁、それ以上言うな。前よりは確実に発育してるわ」
「前島さん、ブルーレイディスク上げましょうか。うちないんですよ」
「いらねぇよ、どうせ仮初めの姿が収録されてるだけだろ。それよりもおまえら本物みたいよな、見せたるよ。ほらこれよ、拡散しとけよ」
「もちろんです、もっと騒がせましょう」
「どこのどいつがやったか分からんけどな
面白いネタには便乗よ。小僧、お前を試してやる、今に見てろ」
「前島さんに俺らついてきます、酒が進みますよ」
「おっぱいの成長具合とともに見守っていきましょう」
♢♢♢
♢♢♢
家に帰ってすぐ、早速はるるんお手製のチョコを開けようとしたが、階下から「みのるご飯よ」とお母さんの声がしたので、リビングに向かった。テーブルの上に並ぶ料理は、ロールキャベツやミネストローネなど、好きなものだらけだった。
チョコレートを先に食べようと考えていたが、空腹で誘惑に負けた僕であった。
週末の朝、僕はあることが不安で気が気じゃなかった。はるるんが『体調不良』で当面の間、活動を休むという公式のお知らせを見たからだ。binderでは、ある噂が飛び交っていた。僕だけは最後まで意志を変えずに貫こうと思った。いつまでもはるるんに縋ってばかりではいけない。彼女は僕を救ってくれた恩人だ。覚悟を決め、これからのプランを熱心に考えた。
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