将来の夢
ふと、いままでの将来の夢について思い出したので、今日はそれについて書いてみたいと思う。
29年の人生で将来の夢は何ですか?と問われたことは何度もあった。
記憶の中で一番昔にそれについて考えさせられたのは幼稚園の七夕だ。
私の通っていた幼稚園では毎年七夕の時期になると一人一枚短冊に、自分の将来の夢を書いていた。
夢もへったくれもなかったMiya少女はまわりの子のものをカンニングし「セーラームーンになりたい」と書いていた。
それが年少の頃の話。
それから、年中、年長になっても夢がなかったため、これまたまわりの子のものをカンニングし「おはなやさんになりたい」と書いていた。
小学生になると、ディズニーランドのアトラクションにあったシンデレラ城ミステリーツアーにドハマりした。
シンデレラ城の地下には悪者たちの世界が広がっていて、その地下の世界を見学しながら最終的に悪者を倒すというアトラクションで、数組で歩いてまわるツアーだ。それぞれのグループにはガイドのお姉さんがいて、小学生の自分にとってはそのお姉さんがヒーローだった。
男の子が仮面ライダーに憧れるように、私はそのお姉さんに憧れ、「シンデレラ城ミステリーツアーのお姉さんになる!」と意気込んで、セリフなどもしっかり覚えた。
だが、シンデレラ城ミステリーツアーがなくなってしまうというアクシデント。
夢は儚くも散った。
中学生になり、次なる夢ができた。
それはディズニーランドのアトラクション、ジャングルクルーズの船長さんになることだ。
これはガイド船に乗って、ジャングルを探検するアトラクションで、各船にはガイドの船長さんが乗っている。
巧みに言葉を操り、お客さんの笑顔を引き出す彼らは素敵だった。
これまた本気でセリフを覚えた。
完璧!
だが、ディズニーランドのキャストは希望するアトラクションにつけるわけではないということを知り、絶望の窮地へと立たされる。30以上あるアトラクションの中から、ジャングルクルーズに配属される確率は…む、無理だ。
諦めた。
高校は工業高校へ進学した。私は大学進学を目指していたため、すぐに何になりたいかと考えることはなかったが、英語の時間に将来の夢について単文を書くことがあった。先生は嘘でもいいから何か書いてといっていたが…。エンジニア…なれる気がしない…。白紙で出そうかと思ったが、こういうときに限って発言権をゲットしてしまう。
アイウォンチュービーア…テ、ティーチャー?
「まあ!Miyaさんは先生になりたいそうよ!」
や、先生、違うんです…。
エンジニア以外にそれしか単語がわからなかったなんて言えない…。
大学生。高校の関係、工業科の情報系の専攻に進んだ。プログラミング、CAD、…わけがわからん。やっぱりエンジニアは無理だ。泣いた。
そんなとき、お笑い芸人になりたいという夢ができた。きっかけは覚えていないが、授業中や休憩中にはノートにネタを書き、相方になってくれと友達に頼み、M-1に出よう!と意気込んでいた。の、だが。この年のM-1は事務所に所属していないアマチュアは出場することができないという規定があった。
夢の一歩を踏み出す前に散った。
そのときは悔しい思いをしたものもあったけれど、今は、いまの自分の仕事に誇りを持っているし、毎日を楽しく仕事ができていてすごく幸せだと思う。喋りの先の相手の顔がしっかり見える状態で、皆の笑顔が仕事を楽しいと感じさせてくれているのかもしれない。
いろいろな夢を持っていた。バラエティーにとんだ夢だが、全ての夢に共通するものがある。それは「笑顔」。
セーラームーンは救った人を笑顔にするし、お花屋さんは花を受け取った相手を笑顔にする。ミステリーツアーから現実に戻ってきたときには多くの人が安堵の笑顔をみせていたし、ジャングルクルーズもたくさんの笑顔がある。お笑い芸人もはまさに笑顔の宝箱。
そして、今の仕事もたくさんの笑顔に囲まれている。
もし転職をすることがあっても、私は「笑顔」に携わることのできる仕事につきたい。
と、まとめてみた。
最後に、今の私の将来の夢は?と考えてみた。
朝から1日悩んだ。
お嫁さんかなー…
アラサー、切実な願いである。
芸人さんと結婚をしたいと願っているので、同じくそろそろ結婚したいと思っている芸人さんいたら、いつでも待ってます。
なんちゃって。
ちなみに画像は先日撮影した月です。
「月が綺麗ですね」と言われてみたいものです。
長々とだらだらと失礼しました。
あなたにとって明日も笑顔溢れる素敵な一日になりますように。
Miya