オタク街のド真ん中で服を押し売りされた話
焦げた油の匂いが鼻を突き刺し、遠くから酔った男達の騒ぎ声が聞こえる。歓楽街から一本外れた薄暗い通りで、俺は階段に座りこみ、さっきまで飲み続け焼かれてしまった頭を冷やしていた。午前3時を過ぎた宗右衛門町はそれなりに治安が悪く、見るからに人生で関わることがないであろうオラオラ系(死語)な服装をした男が絶妙にイラついた顔で通話しながら闊歩している。俺は深夜帯特有とも言える、アンダーグラウンドな雰囲気の漂うこの空間が割と好きだ。毎日アニメを観て行く宛のない時を消費している俺も、この時ばかりは歓楽街に溶け込む闇業界人の如く、遠い目をして成田隼人なりきりをしつつ感傷に浸っていた。
どこか遠い目をしながらカッコつけていると、先程の絶妙にイラついた顔をしたオラオラ系(死語)の男が早歩きでこちらに近づいてきた。スマホを手に持ったままブンブンと振り回して向かってくる。死ぬほど怖いから早く逃げたいが、夕方から飲んでいたせいでアルコールに脳をやられ、危機回避行動などできない。俺はせめてもの「あ、自分、全然存在しないっす。石でーす笑」といった感じで闇家業ぶりを瞬時に中断し俯いた。功を奏してか男は全くこちらに見向きもせず通り過ぎて行った。なんかよくわからんがさっきの電話で仲違いがあったのだろう。俺はホッと胸を撫で下ろし、スマホを取り出した。さっきとは大違いである。怖かったのでTwitterを見て気を紛らわせたかった。成田隼人とはなんだったのか。なんとも情けない。もし俺が人間以外の動物であれば草食動物だったと思う。カピパラ辺りが妥当だろうか…いやカピパラに失礼やな。あーもう思えば昔からそんな感じやったわ。Twitterを眺めつつそんなことを考えていたら、大昔にもこういったことがあったなと思い出した。そう、見るからに関わりのなさそうなオラオラ系とは、過去に一度だけ絡んだことがあるのだ。手に持つスマホのブルーライトが俺の脳を呼び覚ましてくる。ああ……小学5年生くらいだったろうか……確かオタク街に何回か行き始めた頃………ああそうだ、思い出してきた……あの頃は、確か───。
2009年。ニノミヤ電気が倒産直後。こと大阪日本橋では、秋葉原に続き家電と電子パーツ屋の街から、需要の移り変わりにより自作PCパーツ屋、萌え系のアニメショップ、カードショップなどが軒を連ねていた。「わんだ~らんど」など最古参の漫画専門店を初め、幾つもの個人エロゲショップが雑居ビルに押し込まれ、アニメイトはまだオタロード側ではなく堺筋にあった。前年に秋葉原通り魔事件があったが、ここ大阪においてはどこ吹く風やら。セーラー服をきたお爺さんが普通に歩いていたり、フィギュアを見ているとオタクが横で勝手に早口で語りはじめたりと、順当に普段溜まった萌えゲージを爆発させる『萌え解放区』としての機能を担った街だった。当時の日本橋の光景は桃井はるこの歌が似合う。俺は昔の思い出は世界を新海誠フィルター越しで映してしまう癖があり、若干美化されているのかもしれない。今や夜職のベットタウンとなりつつある現状をみるとそれくらい許して頂きたい。とはいえネガティブな部分がない訳ではなかった。やはり大阪といった所か、路上で謎のおじさんが堂々と海賊物のAVとマジコンを売っていたり、ペン型の盗撮カメラなどもそこら辺で売っていたり、街全体の暗い空気も同時に漂っていた。もっぱら俺はそういった月刊ラジオライフの広告欄みたいな所も好きだったが……。今もあんのかな。あと数軒を除けばメイド喫茶は基本的にぼったくりキャバクラだと当時の名誉2ちゃんねる戦士達(被害者)がインターネットで怒りの書き込みをしていたのでやはり秋葉原と比べると大阪らしい、気の抜けない空気があった。人も、文化も、色を混ぜすぎるとグレーになる。長々と書いてしまったが、俺はこの奇跡とも受け取れるグレーの色が好きだった。
長々と書いてしまったが、その時、そんな2009年のオタク街に俺はいた。当時好きだったライトノベル「えむえむっ!」シリーズのコミカライズ版が発売されたため、俺は嬉々として足早にアニメイトに向かっていたのだ。漫画を買うだけなら近所の書店でも買えるが、書き下ろし特典があり、まぁこの記事を読む貴方はもちろんご存知だろうが、アニメイトでは漫画を買うと透明カバーもついてくるのだ。そして何よりもオタク1年生だった俺は“アニメイトで買い物する”という行為にまるで子供がUSJに行くかのようなキラキラした思いがあった。着くや否や、えむえむっ!コミカライズ版を確保し、端から端まで商品をチェック、会計を済ませホクホク顔で店を出た。まだ体力が有り余っている。通りを歩きながら、まだ行っていない〇〇ゲショップ(年齢が年齢のため文字を伏せる)やアニメショップがあるなと、頭の中で最強巡回ルートを生成していたら、突然誰かに肩をつかまれた。震えながらばっと振り返ると、おおよそこの街に相応しくない…いや逆に相応しい、いかにもなオラオラ系の服装をしたロン毛の男がこちらに向かっていた。
「お〜君、今日なにしてん?」
何してん、、と言われても回答に困るのだがアッ買い物に…と弱気の返事をした。今思えばこの時点で完全に犯罪の匂いしかしないのだが、オタク1年生の俺には怖すぎてそんな冷静な思考などできる訳がなかった。
「えーめっちゃ買ってるやん!見せてや!」
文章だけ書くと某Key作品のヤンキー系お父さんだが、残念ながら当時の俺はお父さんの娘さんとは恋人関係ではないし、そもそも初対面でそんなフランクな話し方をする人間と出会ったことがない。これは完全に俺が悪いのだが、自分の趣味に好意的な人間似合うとはちゃめちゃにテンションが上がって心を許す癖がある。俺はこの「見せてや!」の部分で変なスイッチが入ってしまったのか、来ましたっとばかりにこれまた嬉々として袋を開け中身を見せた。
「うわっ、なにこれ萌え〜〜や!」
若干の馬鹿にされニュアンスを感じつつも、当時あまり話す相手がいなかったこともあり、あとそれまでの非日常な出来事でアドレナリンが出てしまっていたせいか、俺は構わず早口で『えむえむっ!』シリーズの素晴らしさをこれでもかと言い放っていた。男は流石にこれにはドン引きといった表情だったが、やはりオラオラ系のオラオラ世界で生きてきたのだろう、
「うわ〜君めっちゃ詳しいな!おもろいやん!ちょっと向こうで詳しく聞かせてや!」
と誘ってきた。俺は全然普通に怖かったが、引き下がれず、あぁ!行きましょう行きましょう!とデカい声で言いながらその男について行った。小学5年生をナンパする男。レベルが高すぎである。
歩いてすぐだったか、着いたのは今やアメ村ですらないようなダサ服屋だった。当時俺はファッションと言っても完全にお母さんが買ってきた服を何の疑問を持たず着ていたのでそれはダサいかは全くわからなかったが。
「うん、まぁ入ってや」
「あ、失礼しま…す…」
よくわからない柄のTシャツやら木こりみたいなベストが陳列した店内。どう見ても漫画の話をする空気が皆無だったその空間に俺は男と2人になった。
「そういえばさぁ、彼女とかおるん?笑」
入って二言目にはオタク1年生と最も程遠い質問を投げかけられた。
「いや…そういうのはないです」
ここで俺は今までのオタク・会話にこの男が全く興味がないことを悟った。遅すぎである。
「よなぁ〜〜笑 君、その服があかんわ」
そう言いながら男はかかってある服を何着か取り出しながら吐き捨てるように言った。
「あー笑」
俺は俯きながら精一杯の微笑みを浮かべた。悲しかったのだ。お母さんが買ってきた服をDisられたというわけではなく、アニメや漫画の話が出来ないとわかってしまったから。
「大丈夫やで、今から自分は変えれる」
堂々と言い放つ、まるでパラダイスキスの登場人物かのような語り口で営業が始まった。これはすごいデザイナーだの、モテるだの……無論、本当にそうだったとしたら今でも欲しいくらいのビッグマウスだった。
「あ、、あの、、じゃあこれで」
俺は正直一枚も要らなかったのだが、なんか買わないと帰してくれない空気は感じていたのでレジ前に置かれた4枚のシャツを指差した
「おう、まいど」
慣れた手つきで男はキャッシャーを打つ。さっさと帰ろうとばかり思っていたが値段の画面を見て驚愕した。
4万〇〇円。(覚えていない)
小学生に払わせようとするにはどう考えてもおかしい値段がそこにはあった。
「あのー…今全然お金なくて……」
俺は精一杯の勇気を振り絞り、男に言った。お小遣い制なので1万円もないので当然である。加えてアニメイトで色々散財した。男の表情が強張ったのは誰が見てもわかる感じだったら
「あーほな財布見せてぇや」
怖すぎて、俺は財布の中身を見せた。3千円くらいだったか、本当にTシャツ1枚買えない値段だった。男は大きいため息をつきながらレジ前に戻った。
「あーもういいわ。これ、サービスやで。1500円にしとくわ。今度絶対また来てや」
この店大丈夫かと突っ込みたくなる値下げである。もちろん俺はもう早く出たかった一心であり、そんな考えは1ミリも起きなかった。
かくして、俺は帰りの電車賃とマクドナルド代くらいを残し、Tシャツを買って帰ったのである。正直落ち込みすぎてその後、考えた最強巡回ルートは周らず、真っ直ぐに帰宅した。買ってきたTシャツは母親にダサすぎて笑われた。
俺もそれなりに年をとっているのだろう、アンダーグラウンド(笑)というかここまで書いた出来事よりももっと世間的に危なそうな現場には何回か遭遇したことがあるが、これは具体的な失敗例で今でも記憶に残っている。
流行り言葉を使うとゾーニングと言えば良いのか、今のオタク街こと日本橋は平和そのものである。いや、俺の目に入ってこないだけかもしれないが……この記事を読んでいる貴方も何時このような事件に遭遇するかもわからないので気をつけようというありがちな注告で締めくくりにさせて頂きたい。あともっとエグい話がある方は是非TwitterのDMかDiscordで連絡して下さい。単純に面白そうなので。因みに前記した宗右衛門町での1日は、朝起きると3万円が消えていました。ホラーですね。それでは。
PS:懐かしくなって今調べたらこの服屋の店主が色々あって逮捕されていたみたいです。時代やなぁ…