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CoD SR界隈時代の僕の昔話と今後のCoD界隈で思っていた事。

こんにちは、最近ぎっくり腰をやってしまい腹筋、背筋を
筋トレ頑張ってます。フリーランスでグラフィックデザイナーを中心で活動している歪廃(イビツスタリ)です。
今回は自分がCall of DutyのSRチームにいた時の昔話と今後のCoD界隈について思う事をブログに記載してみようと思います。
人によっては不快不愉快に思いますが
是非現在CoDをやっているゲーマー/クランなどに目を届いて頂ければと思います。

昔のCoD界隈の自分の始まり。

僕がCoD界隈で活動していたのはもう8年前(平成28年ぐらい)の話になります。
最初にCoDという存在を知ったのは10年前、誕生日に母親にCoD:BO2(コールオブデューティブラックオプスツー)PS3を買ってもらい、高校の友人とゲームで遊んでたのがきっかけでした。
そしてその何ヶ月に幼馴染の親友を通して
"いのゆう"という中学の同級生(のちのSengokuGamingのストリーマーとして活動するRaychil)といのゆうの兄二人に出会い、CyACという大会の練習に向けてのいのゆうが結成したチームで活動を始めます。
次第にチームの活発も減って解散し、元チームのメンバーと組むも余り長続きしないその時、当時CoD界隈のGFXデザイナーとして活動していた"CrayZ"という人物にたまたま出会い、"デザイン" "GFX"という存在を知り、「彼の様にデザインをしてみたい!」と思い、PhotoshopCS2をDLしデザインを始めます。(余り覚えてませんが、その時はCoDのSR界隈の存在は知らなかったと思います。)
更に別で元CoDデザイナー/プレイヤーとしても活動していた自分の人生を大幅に変えた人物の“ハカセ”という出会います。
そして彼の繋がりで、今でもたまにお話する人物もCoDのプレイヤー“ミコ”という人物にも出会い、CoD界隈の存在を知り、CoD界隈の活動を始める事になります。

所属チームの思い出。

CoD界隈時代の事は余り覚えてないですけど僕が所属していたチームの思い出を三選覚えてる範囲で語ってみます。

東方Commnity
東方Project好きが集まるCommnityTeam。
僕が当時、東方Projectという作品が大好きで当時リーダーだったミコくんに通話してお願いして貰った記憶があります。
メンバーの人も優しく、動画は確かイントロとmontage(映画の撮影技法のこと、ゲームプレイをかっこよく編集する動画の事)しかアップされていなかったと思うんですけど、僕のCoD界隈でのスタート地点だったと思います。
SpaceNova
海外と日本人の混合の異種TrickerTeam。当時はTrickshot(FPSなどで決め技として使われるテクニックの一つ)で強豪だった気がして
僕がCoD界隈かゲーマーかで辞めたり辞めなかったりで
彷徨っていた時を3回目の復帰の時に、リーダーの方にDMが来て2ヶ月後ぐらいにやっと確認でチームに入れたのを覚えてます。当時の僕は強豪のチームに入れた事がとても嬉しかった記憶があります。
TehDevilClan(現Devil)
海外のCoD&StreamTeamでスポンサーも付いてる(あまり覚えてない)。身内の名前は忘れちゃったんですけど、その人に勧誘して貰い、デザイナーとして加入させて頂いたのは覚えています。海外側が決めた表に指定したデザインを作らなければならない決まりだったような、作った事ないデザインを作った記憶もあり、良いような悪いようなって感じだったと思います。僕が実質、最後にCoDの界隈を辞めたのはここかもしれません。でも肩書きだけでも載せられて嬉しかったと思います。
という感じの思い出があったと思います。
今でも仲良い身内とは話したりもして、たまにこういった昔話に浸ったり、悟ったりする時と自分の事は嫌いになるんですけど、それでも僕は今までの人生があったこそ
今で居られると思います。

今後のCoD界隈で思う事

色々思い出を語っていきましたが、今後のCoD界隈について思う事を語ってみようと思います。

・"CoD界隈は日本では伸びない"
正確に言いますと"Feed/Trickのチーム"そしてCoDを要した"クリエイターチーム"は伸びるきっかけがない限りは個人的にはもう日本では伸びしろが無いと思います。
これはもう時代というのもあり、今はEsportsチームやデザイナーやエディターの仕事の方が将来的にも有利に持っていける糧になるではないかと思っています。
当時はK4senVodkaShirleyという人物/SamuraiZyAG・ClanLeXyというチームといった盛り上げる存在がいたからこそCod界隈は伸びてきたと今は思っています。
彼らの存在やその他解散してしまったTeamの存在が大きく左右され、今の衰退したCoD界隈になってしまったのではないか、そう思います。やはりCoDで伸ばすのであれば、実況や配信・プロゲーマーとしての活動の方が伸びしろが強いんじゃないかなと思います。
・“デザインを飽きやすいCoDプレイヤーが多かった”
これに関しては本当に多かったです。
実体験の記憶なんですけど
依頼が来た相手にデザインを作って完成した作品を渡し、使用して貰って一週間後、また同じ人から作ってくれと言われる事が多かったと思います。
正直CoDに限らずだと思うんですけど、デザイナーからしたら不満が積もり、時間の無駄ではないと当時は思っていたのかと思います。
中にはコレクションとして欲しいという方もいましたが、やはり使ってくれた方が個人的には有難みは強いですよね。
でしたらアーティストとかプロゲーマーとかで長く使用して貰える相手の方がより自身の宣伝にもなると思うし、相手の為にもなるのではないかなと今の僕だからこそ思います。

という感じに簡単ですけど語ってみました。

CoD界隈に居たからこそ今がある

最後になりましたが、なんだかんだでCoD界隈では
色々な事を学んだのではないかなと思います。
いのゆうのお陰でCoDの事を知り、ミコくんのお陰で様々なTeamやCoD界隈の知識を学び、ハカセのお陰でhip-hopを知りながらデザインも成長した事で人生も大幅に変わったのかと思います。
そのお陰で僕を今の業界に押し上げてくれたMy$terさんにも出会い、今の僕がいると思います。
実はフリーランスを始めたての時、少しだけCoD界隈に居座ってました。
実は裏ではもうちょっとだけCoD界隈に居座っていたい。
新しい身内を見つけて楽しくやりたいという気持ちがあったかもしれません。
今はグラフィックデザイナーとしてCoD界隈とは縁を切る為、無断で抜けてしまったチームもありましたが、正直少しだけ後悔しています。
メンバーにも申し訳ないと思いましたが、
「仕事の為には抜けた方が良い」そう考えた自分自身の心の判断で決めたことです。ですがやってしまった事は仕方ない。今の活動の糧として頑張って行こうと思います。

この記事に目を通して戴いた方、ありがとうございました。

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