ピアスはまるで小骨のように
どうにも引っかかってしまっているようだ。
…といっても、断じてピアスを誤飲したわけではない。
外出、ましてや遠出の機会ともなると、大幅に少なくなった今の世の中。
「ピアスをつけること」どころか、ピアスというアイテム自体、ついつい、なおざりにしてしまう。
その日もちょうど例に漏れず、
「そろそろ通しとかないとさすがにヤバいよな」
という、ピアスホールを空けた身を最低限案じる思いから、久しぶりにピアスをつけようとした。
しかしながら、通らない。
しかも、左耳たぶだけが、頑なに通ろうとしてくれない。
心当たりはある。
左側は随分、かわいそうな目に遭わせてしまっていた。
空けてから2年は経つというのに、利き手と逆の手で入れる動作に慣れない、私の至らなさによるものだ。
とはいえ、どうやっても入り口で堅く拒まれてしまう事態は、初めてのことだった。
それゆえに私は、ふつふつと苛立ちを重ね、少しばかり判断力が鈍ってしまっていた。
洗面台に立ち、鏡に近づいてあれやこれや。
指の隙間からまろび出た、と察した時にはすでに遅し。
小さなスタッドピアスを、
それも穴に通せるかどうかも分からない状況で、洗面台の近くで扱う。
こんな行為、冷静になって思い返せば、
「どう、このピアス?深い緑の輝きが美しいでしょう?」
と鏡に向かって散々見せびらかした上で、
「でも、こんなに小さいものですから、落としてしまったら大変ですの。絶対に落とさないようにしませんと」
と、盛大なフラグを立てているようなものではないか。
殺してでも奪い取られることはないにしろ、
わずかでも隙を見せれば、下の深い口にあっという間に呑み込まれてしまうことは、分かりきっているではないか。
だから、自らのウッカリに気付いてしまった後の私は、
「そ、それはあなたに差し上げましたのよ…どうか大事になさってくださいまし……」
なんて、強がってみせるほかになかったわけだが。
あのピアスに排水口は広過ぎるし、滑らか過ぎる。
ステンレス製のポストが小骨のように引っかかることもなく、真っ逆さまに落ちていっただろう。
あの後、少しだけ先を懐中電灯で照らしてみたけれど、きらめきは見当たらなかった。
多分、自慢していたきれいな石は、あっという間に、すっかり消化されてしまったのだと思う。
一方で、私の心のパイプ管はそこまで広くもないし、滑らかでもない。
だから、いまだに引っかかってしまっているらしい。
「あの深い緑がどのように輝いていたか」という記憶は、もう、無意識の下水道にとけつつあるというのに。