大好きに導かれて、僕は幸せに辿り着く。
幸せは感じやすかったり、感じにくかったりする。
幸せは長続きしたり、長続きしなかったりする。
去年の夏、ボロボロ泣いた曲がある。
ちょうど1年前のロッキン2022。
My Hair is Badが高らかに歌っていた。
大好きなものが、音楽でも、映画でも、
YouTubeでも、お笑いでもいい。
アニメやゲーム、読書でもいい。
仕事でも、恋愛でも、料理でも、洋服でも。
スポーツでも、絵でもいいし、配信でもいい、
なんなら未来や思い出でもいい、と。
大好きと幸せはイコールじゃないけど、
大好きから幸せは生まれてくる。
あの瞬間、大好きな彼らが、幸せを運んできてくれた。
だから、ボロボロ泣いたんだと思う。
その半年後、僕は人生のドン底に落ちて、
幸せより不幸について考えることが多くなった。
暗く湿った底の底では、
大好きなこともまともに出来ないし、
大好きなものが目の前にあっても気づけない。
何をするにも億劫で、やる気が起きない。
心が弱っているという事実があるとはいえ、
仕事を休んでいることに対する後ろめたさがあった。
後ろめたさからか、貯金や手当金を使って、
気分転換をすることも出来なかった。
それを紛らわすために転職活動とかをするけど、
上手くいかなくて、また自己否定。
負の連鎖ってこうして続いていく。
ちょうど1か月前くらいからだろうか。
7月に入って、転職活動を一旦やめた。
会いたい人に会い、やりたいことをやった。
厳格な父親にブチ切れて、自己主張した。
たぶん色々吹っ切れたんだと思う。
そしたらね、
最近になって、ようやく目の前が見えてきた。
お金を使えるようになった。
時間を使えるようになった。
部屋で動けなかった時間に、
ギターを弾けるようになった。
ドライブに行けるようになった。
通院と薬だけに使うお金を、
服やアクセサリーに使えるようになった。
出会いや飲みに使えるようになった。
僕の生活に大好きが戻ってきて、
大好きが幸せを連れてきてくれている。
明日を迎えるのが嫌じゃなくなった。
だから今度は、
僕が誰かの大好きになって、
幸せを運べるようになりたい。
あの日のロックスターのように。