自分と同じフィールドに君がいる
母子関係に風穴を空けるたっつんの存在
たつみのりは2人とも自営業で時間を自由に使えたし、見えない領域・リアル世界…方々からの手助けもあり、今では珍しく父母2人+αが揃って育児をすることが出来たすごく恵まれた環境にいた。
その恵まれた環境を整えるというのはたつみのり側の意識の変化だったりとか、様々な働きかけは必要だけれど。
SNSなどで知るそれぞれの環境を想うと頭が下がる想いがあるし、それでもぐだぐだの自分の事を情けなくも思う。
そんな時に必ず狭まった思考を晴らしてくれるのはたっつんの言葉だった。
『育児には向いてる向いてないがあるよ。
それに性別は関係ないし、環境も関係ないよ。
全てが唯一無二の存在だから比べても仕方ない。』
たつみのりっちの中では父という立場のたっつんは良くも悪くもなく、事実しか言わない。
その『事実のみを伝える言葉』が私の頭をクールダウンさせて、いつも物事そのままに向き合わせてくれた。
母親と子供…たった2人だけよりも当事者として父親が傍にいるというのは全く違う。
私以上にたっつんは赤ちゃんについて学び、私含めておチビさんを観察し、あれこれと試行錯誤した。
同じフィールドに自分以外の誰かがいて、自分とは違った目線でおチビさんを見守り、お世話し、そして様々なタスクを共に考え、選択する。
私は不思議と自分がやりたかった育児をたっつんとなら出来ていることにこれ以上なく感謝して…。
それがままならない社会の構造や、もっと何とかならんのか!みたい現実を知ったり、見る度に思わずにはいられなかった。
だって私はきっと育児には向いていない。
それはこのnoteを見てくれていた人には言わなくても伝わるくらいに。
それでも【ちゃんと出来ているよ】と思ってもらえたり、言ってもらえるのは周りにいるみんなが私を母親にしてくれるように手助けしたり、見守ってくれているからだ。
そうじゃなかったら、私はきっとおチビさんの母親は出来なかった。
赤ちゃんの言語は泣き声
みのりんはおチビさんの泣き声がたまらなかった。
聞けばどうにも焦って落ち着かなくなってしまう。
泣いてる理由や泣き止ませるにはをすぐに考えてしまう。
だけど、泣くという行為には大切な意味がある。
『おチビさんの言語は泣き声。
泣いてたっつん達に教えてくれてるんだよ。』
たっつんの言葉で私はまたふっと我に返る。
あ、そうか…赤ちゃんから泣き声を取り上げるのは私達から声を取り上げてしまうようなものなんだと。
眠る前に彼らはグズる。
すぐに寝りゃいいのに泣く。
赤ちゃんって眠るのが実はまだ上手に出来ない。
筋肉もないから泣いて体温を上げて、眠りについたりする。
いつから私の中に赤ちゃんを泣かせちゃダメだがこんなに根深く刷り込まれ、当事者になった途端に焦って周りが見えなくなる程に根を張っていたんだろう。
『それこそ環境だったり、常識だったり、外からの情報の影響だね。
大丈夫、たっつんがエネルギーワークでサポートするっつん!』
たつみのりの育児はまずたっつんがエネルギーワーカーだというのがめちゃめちゃでかい。
みのりんの中にある『育児』『母親』『子育て』『子供』に関する様々な必要のないフィルターを整えてくれる。
そして動画や本から必要な情報を揃えて、精査した上でみのりんに提示してくれる。
異次元の子育てになっているのはたっつんの存在がかなり大きい。
『てんてんに必要なのは今はこれかなぁ~…。』
そうして、提示してくれたのは寝んねトレーニングに関する動画だった。
※たつみのりが寝んねトレーニングを参考にさせてもらった方のYouTubeチャンネル↑
そのおかげでみのりんは泣いてるおチビさんを前に手を出す前によく観察し、泣いてるおチビさんを信じて見守る習慣がついた。
泣き声に耳を澄ませて、いくつか種類があるのも聞き分けられるようになった。
暑いよー。
抱っこしてよー。
お腹減ったよー。
今踏ん張ってるよー。
泣き声で教えてくれる。
その意味を照らし合わせて、よく見てよく聞いて、試行錯誤して。
おチビさんが眠る準備や環境が整えば自分から眠ることが出来るようになったり、人からは『落ち着いていてあまり泣かない。』という印象を持たれるまでになった。
赤ちゃんの泣き声は彼らの言語。
むやみに取り上げるものではない。
これってきっと子育てしている人だけが直面する問題でもないと思う。
みのりんが想う国民総子育て世界
そんな時にふっとよぎる考えがある。
それが国民総子育てってやつである。
これはみのりんお得意の理想論ってやつ。
私は正直たっつんが働いていて家を空けているよりもずっと2人でおチビさんの育児に当たれることに大分助けられた。
オムツの交換も沐浴も女性よりも力がある男性の方がどんどん成長するに従って手早く進めたり出来る。
会社よ、社会よ、経済よ。
どうか彼らを彼らの妻子の元へと居させてあげてくれ。(もちろんただ居るだけは論外だけど。)
それが叶わないなら『任せて!一緒にその子を育てよう!』くらいの誰かを母と子の元へ居させてあげてくれ。
保育所をたくさん作るよりも、規模は小さくても顔や名前や性格をお互いに把握できるくらいのコミュニティで子供を見守り、任せたり任せられたりして、育て合っていけるような社会構造が在ればと思っている。
子供を中心に1番関わる人が2人、ちょっと離れて関わる人が2人、その5人をコミュニティの基本にして周囲を3~5人の人で囲んでとにかく必ず誰かが助けてくれて、必ずどこかと繋がって開けた広い繋がりの中で子供が育っていく。
余裕がなくなる時はあるから、そんな時に抱っこやお茶を任せて、一緒に座ってお茶を飲んだり、話が出来たり。
お母さんがいるのだから子供の抱っこや面倒は必ずお母さんが…という訳でもない。
だって、みんな出来るんだから。
子供に関わることを躊躇する仕組みや構造を変えていきたいし、変えてほしい。
それは同時に無理矢理にでも子供と関わらなきゃいけないという仕組みや構造を変えていくはずだから。
それがみのりんの想う国民総子育て。
自分の子を預かってもらうなら正直相手が実母じゃなくても夫じゃなくても関係性を問わず信頼できる人間性がある人。
そんな人が必ず自分達と同じフィールドにいると感じられた時、安心感は一段と違う。
会社よ、社会よ、経済よ。
命に触れてくれ。
孤独な命を作らないでくれ。
世界も神々も決して命を孤独にはしない。
子供が『自分には必ず信頼できる誰かがついててくれる』と感じられるそんな社会構造になればいい。
大人の都合や社会の都合でがんじがらめでは命から遠ざかってしまう。
たつみのりっちになってから、私の世界は深化を続けて広がっていく。
今まで気にも止めなかった世界があったんだと。
それぞれの親子がそれぞれに望む育児が出来るのが1番いい。
だから、たつみのりっちの家族の形が絶対ではないし、それぞれの目指す育児はちょっとずつ違う。
それぞれが1番自然な家族の形になるように。
そんな理想の世界を自分の中に創って、せめて自分の周りだけはと創造しながらたつみのりっちの日々は続く…!