神とお産と人の営みと…①
子宮やわやわを目指して。
今回のお話はあくまで医師免許もなく、看護士でもないボディーケアセラピスト歴10年のみのりんと東洋医学を趣味で嗜むたっつんの考察としてお腹の人がやってきてからのことを書いてます。
お腹の人がやってきてから、マタニティブルーを経て、安産と納得のいくお産を目指して日々やさぐれながら過ごしているみのりん。
みのりん的な直観で問題はお産の際に子宮が開くスピードだな、なんて思っていた。
子宮口が開くスピードが遅かったらそれだけ陣痛の時間は長引くし、さぁ!分娩だ!となった時には体力も精神力も削られて正直お腹の人の存在と体の感覚を感じて息を合わせていきむ!!
なんて余裕が自分にあるとは思えない。
1番に自分に必要なのは今まで敬遠していたお産のメカニズムと体の仕組み…引いては人の産まれてくる力と産む力を知り、信じること。
その力が自分とお腹の人には既に備わっていると信じることだと一瞬で理解はしていたのだ。
(ただ、人ってめんどくさくて複雑でそれを受け入れるまでが長かったりするんだこれが(笑))
そして、子宮の柔らかさ…これがやっぱり必要だな!とみのりんは結論付けていた。
子宮のかたさ=◯◯◯のかたさ!?
そこからイザナミのおばあちゃんに
『呼吸法と体の使い方を覚えろ。』
と言われて呼吸法と今の生活に繋がっている。
ちなみにイザナミのおばあちゃんからは
『お前は体の使い方がなっとらんのだ。』
とお小言ももらった。
お腹の人が9週になるまで。
つわりが無かったとは言え…長時間の車での移動、高低差のある場所での農作業の日々、そして極めつけは大荒れの日の屋久島への渡航。
散々である。
だけど、その散々に体力と精神力を使った毎日でもじっと静かにお腹の人は息づいていた。
(そして未だにそんな日々の中で子供が出来るようなことをタイミング的にやってたか???と首を傾げるたつみのりである。)
きっとお腹の人は大丈夫だ。
産まれるも途中で止めるもちゃんと自分で決められる人だ。
問題は今を生きる私だ。
『子宮の柔らかさかー…肉体的にも見えない領域でも色んなアプローチがあるんだろうなぁ。』
『うーん、これはたっつんが聞いたお話だけどね。子宮のかたさは頭のかたさとイコールという話もあったよ。』
子宮のかたさ=頭のかたさ!?
とっても興味深い話だった。
もちろん医学的に証明された話ではない。
けれど…思い起こしてみれば、今までボディーケアセラピストをしている中でお産が軽く済んだ人って柔軟で軽やかな思考の持ち主なんだよなぁ…!
それこそ『陣痛?んー?ちょっと今回の生理重いかなー?くらいだったよ!』とか、初産で2時間で産まれたわー!とか。
『軽やかで柔軟な思考もそうだけど。今までの思い込みや固定観念…子宮だから自分が女性であることに関してそういうものが多かったり、頑固や偏屈な思考をしてると子宮は固くなっちゃうのかもね。』
『あくまで可能性の話だけどね。』
お産と人の営み
もしかして…もしかしてだけど。
ここで私は医療設備は整っていなかっとしても、お産に関しては大昔の方が産みやすかった部分もあったのでは?
そう感じるようになった。
『人はみな、産まれる力と産む力を備えている。
だが、今の人の営み(社会の仕組みや構造)はその力を遺憾なく発揮できる状態かと言われたら、そうとは言いがたい。』
イザナミのおばあちゃんは語る。
人のお産は月の満ち欠けや波の満ち引き、月と太陽の巡りの中で産まれてくる命と産む命が息を合わせることで成される。
ライフスタイルが多岐化して、夜でも光に溢れた世界では昼に活動し夜に眠るというリズムが崩れ勝ちになり、目を使う生活は頭皮を固くし、体の柔軟性を落とす。
多すぎる糖と脂質は冷えれば体の中で固くなり、心にも向き合えないままに多忙な毎日をただやり過ごす。
高い医療技術と医療知識からのサポート的な医療介入と人が元々持つ生き抜く力が上手く噛み合えばお産の形はきっともっと違ってくる。
イザナミのおばあちゃんは全ての子と女性に、昔からずっと、今もきっと手を差し伸べ続けている。
人の産まれてくる力と産む力を誰よりも信じ続けている。
全ての女性がその心に誰よりも自分自身で寄り添えることを祈っている。
『お前も自分の生きる力を信じるのだ。』
神とお産と人の営みと。
その繋がりは未だ強く尊い。
いつだって繋がれるのだ、本当は。
どんなお産を選ぶのか。
それは人それぞれ。
(今を生きる私は産まれてくる命のサポートって感じでメインではないけど。笑)
色んな想いを抱き抱かれて、やさぐれ妊婦の日々は続く。