母にどこまでも優しく厳しい方
今回はイザナミのおばあちゃんとの会話をメインに話を進めていきます。
イザナミのおばあちゃんは母という存在にどこまでも優しく厳しい方。
会話の中でそう感じました。
お前が感じるのは波だ。
お産が近付くにつれてイザナミのおばあちゃんのアドバイスや指導は細やかさを増していく。
大体は目に入る情報でキーワードが飛び込んできたり、タイムリーに目につく情報が入ってきたりという感じでやってきていた。
その日はとある方のお産エピソード漫画が目に入り、淡々と事実のみを描いてくれたその方の作品を読み進めると。
【陣痛で大事なのは痛みの強さではなく間隔。】
というキーワードが目に入ってきた。
今回、イザナミのおばあちゃんが伝えたいのはこれだ!と気付く。
陣痛はどうしたって『痛みの強さ』で表現され勝ち。
そして『痛みの強さ』で比べられ勝ち。
看護士さんももしかしたら『痛みの強さどうですか~?』なんて聞いてるかもしれない。
分かりやすいもんね!※けど、そもそも痛みをどう感じるかなんて個人差すげぇけどね!
『お前らは比べたがりじゃからのぅ~。』
そんな時にイザナミのおばあちゃんがチクリ。
なんでもかんでも比べたがって勝手に荒ぶったり、落ち込んだりする。
お前たちは本当に忙しいな、と言いたいらしい(笑)
そして、最後に…。
『お前がお産で感じるのは痛みではない。
生命の波(間隔)だ。』
つまり、私が感じるのは痛みではなく、波なのである。
この波というキーワードは繰り返し繰り返し私に届いていた。
きっとお産を体験することでもっとその意味が分かるのだと感じている。
感じよう、命の波。
支配しようとはせぬことだ。
【波】と同じくらいに私に届けられるキーワードはもう1つあった。
それは【コントロール】である。
体重の調整をしている時が本当にそうで、【管理】することと【支配】することは違うということ。
『自分が楽をしたいから子を小さくしようなどと考えるな。
自分と子に1番良い大きさに調整するよう心がけるように。』
イザナミのおばあちゃんの口酸っぱいアドバイスが甦る(笑)
イザナミのおばあちゃんは生まれる前から子を支配しようとしたり、自分のために利用しようという在り方を厭う。
自分の子という関係性になる尊き他の魂を自分の隠れ蓑に使うなと。
『陣痛が痛く苦しいという状態にある者は確かに存在するだろう。
様々な要因でそういう状態になってしまっているだけだ。
自分の体を冷たく硬いままにしてお産に臨み、命の波に体が対応できず、軋みをあげておるのだ。
その苦しみや痛みから逃れたいがために命を懸けて産まれくる子を急かし、周囲に不平不満をぶつける。
美しくない。
お前の苦しみや痛みは産まれくる子も共に負っていることを忘れるな。』
何度も言おう。
イザナミのおばあちゃんは母という存在にとても厳しい人だ。
『体を冷たく硬いままで放置し、心の不安や怖さを見ないふりし、ぞんざいに扱ってきたのはいったい誰だ。
何がお前をそんなに苦しめた。
その正体を見誤ることなく、しなやかに柔らかく美しく在れ。』
そして、どこまでも母という存在に優しく、今の母という存在に対する人の社会の仕組みや構造に、人の【母】という存在への向き合い方を見つめ続けている。
自分の体の中に自分以外の存在を受け入れ、育てるからこそ…自分以外の存在に、魂に、肉体にどう向き合っているのかが子を宿す前からでさえハッキリと分かる。
向き合っていく。
子を産む、子を育てるということを通して自分自身に。
『女だけでなく、男もそうじゃ。
自分以外の存在に受け入れて貰う時、その存在に、魂に、肉体にどう向き合い扱っているかで男の真価が問われるというもの。
共に生きる女の本音に向き合う度量と器が目の前にいる男にあるかはそこで分かる。
…女の本気に怯んで逃げ出したり、怒って器の小ささを露呈するような男はまだ未熟な状態ということだな。まぁ、誰とは言わんが。』
そして、チラリとイザナギのおじいちゃんを流し見た。(目をそらすイザナギのおじいちゃんもバッチリ見えた。)
イザナミのおばあちゃんの言葉は貴女にどう響くだろう。
痛いだろうか?
優しいだろうか?
それとも、もっと別の感覚だろうか。
人の数だけ響きがある。
これからの人の未来に。
何度も感じてきたことだけど。
今の人の社会の構造や仕組みは新たな命を受け入れたり、その命を受け入れる母体や母という存在に対して合った形ではない。
もちろんそれを作りだした人の心や接し方も、新しい命やその命を受け入れる母体や母という存在に対して合った在り方というのを忘れてしまっていると感じる。
『お前たちがそれを自分達が望む答えとして、そう在るというのなら、その未来を選ぶというなら私はその在り方を受け入れるまで。』
イザナミのおばあちゃんは静かにそう語る。
人の社会の構造や仕組みはあくまで人が人のために造り出したもの。
その責任や重みは神ではなく、人が向き合うものだからだ。
『だが、人の社会の構造や仕組みが新たな命を望み、自分達の子や未来を諦めさせる要因となっているなら。
新たに生を受けた命と、生を受け止めた命が責められ、孤独な境遇に消えていくことがあるなら。
自分以外の誰かや何かからそれを強いられているのだとしたら。
それは酷く悲しく、寂しいことだ。』
私が妊娠をしているからというのもあり。
たくさんの情報が入ってくる度に産まれてくる命や産み育てる命や、それを取り巻く環境や社会の形を考える。
きっとイザナミのおばあちゃんは人がどんな答えを出してもその未来を受け入れ、それでも傍にいてくれるだろう。
神と人は共に在ったから、今までもこれからもそれは変わらない。
ただ、私たちはずっと見つめ続けられている。
『さぁ、お前たちはどんな未来を選ぶのか?』
イザナミのおばあちゃんの瞳はずっと私たちに向けられている。
やさぐれ妊婦の不思議な日々は夏真っ盛りのお産に向けて、ゆっくりと確実に近付いていた。