違う性に生まれたからこそ見えてくるもの
可愛い子には可愛いって言う!!
伊奘諾のおじいちゃんはものすごく女性が好きだよねぇ。
『な、なんじゃ、いきなり!』
いやぁ、だってさ、美人な女性や可愛い女性を見ているといっつもニコニコふにゃふにゃしているし、実際に会った時もネットで交流している時もニコニコふにゃふにゃしてるよ!
『いやぁ、だって美人じゃし可愛いからのぅ。
わし、世の男性はもっと女性の美人だし可愛い所はもっともっと美人!可愛い!って言うた方がいいと思うぞい。』
うーん、男性は男性で言ったら誤解されるかなぁとか、女性は女性で受け取り方様々だからなぁ。
『何を言うておる。
だからこそじゃろ!!
男は男でどんな気持ちで美人や可愛いかを伝える経験を積んでないから、女人は女人でそう言われたときに自分の受け取り方や感じ方に向き合ってこなかったから拗れに拗れておるのだぞ。』
あ、そうか。
気持ちを伝えるのも受け取るのもやっぱりやってみないと分からないし、やってみて自分に気付くことってたくさんあるもんね。
『男は女人が怖いし、女人は男が怖いという図式も根強く形成されつつある。
本来の形はもっと違うのじゃ。』
お互いに怖がっているんだねぇ。
獣となるか、人となるか。
うーん、じゃあ、伊奘諾のおじいちゃんが想う本来の形ってどんなもの?
正直、人間は肉体がある分ものすごく複雑だよ?
『人は生物として生まれ、肉体の理の中で営みを続けておる。
だから、肉体の性というものはあるだろう。
じゃがな、肉体の性というものに支配されない領域が【愛】じゃ。
【愛】の中に肉体の交流を置くのじゃ。
これが逆で肉体の交流の中に【愛】を見出そうとすると拗れるし、肉体の性に支配されておるのは獣と変わらんよ。
【愛】というものはどういうものかセンサーを磨き、【愛】を表現し続けるだけなのじゃ。』
なるほど。
人は肉体がある分、どうしてもそこをごっちゃにしてしまうんだね…!
女性に可愛いとか美人って言うのも男性の女性への愛情だし、それをどう受け取るかも女性側の愛への向き合い方や、愛情センサーがどうなっているかが現れるってことか。
『うむ。
男女の仲というものは実に多岐に渡り、多くのことが露呈し、そして多くの気付きを内包しておる。
人は人間という形を取りながら愛を体現も出来るし、ただのケダモノにもなる。
ケダモノの性と本当の愛の区別を付けることじゃ。
怖さというものを乗り越えてな。』
すごく大きなテーマだねぇ。
『ここはわしも苦労したでな。
男性諸君、タイミングだけは間違えてはならんぞ。
特に女性が『待ってくれ』というなら、待つんじゃ!!』
(伊奘諾のおじいちゃんが言うと変な説得力があるなぁ…。)
自分の性の素晴らしさは異性が教えてくれる
『わしは美人さんには美人というし、可愛い子には可愛いというがな。
なんというか、それで元気になるのじゃ。』
うんうん、可愛い可愛い!ってニコニコしている時も、美人美人ってふにゃふにゃしている時もおじいちゃんものすごく艶々してるよ!(笑)
『なんというかのぅ。
やっぱり男の素晴らしさを教えてくれるのは女人で、女人の素晴らしさを教えてくれるのは男なのじゃ。
そこで驕るかどうかも含めてその者の人間性というものなんじゃろう。』
うん、やっぱり…そうだよねぇ。
同性に言われるのと、異性に言われるのと、やっぱり違うものね。
『今やこの世界の人間の性は男女の2つだけでは無かろう。
自分の性の素晴らしさは異性が伝えてくれる。
違う性に生まれたからこそ見えてくるお互いの素晴らしさというものがあるじゃろう。
男女間で怖がっていれば、多くの性がお互いにとっては謎で、知らないものはやっぱり怖いままなのじゃ。』
今からは超多様性超細分化の流れが始まっているものね。
どう流れていくのか、興味深いね。
『そうじゃのう。
ここはわしも見守っていきたい所じゃ。
夫婦和合というよりは人類和合が今のわしの目標じゃからな。』
おじいちゃんすごい!
『じゃろ〜(ニコニコ)
神も進化しておるのじゃ。』