家族は一緒がいい
ここに来て欲しいんじゃ
いきなりみのりんに告げられたイザナギのじいちゃんからの圧のあるメッセージ。
それは宮崎県江田神社に来て欲しいのじゃ、ってことらしい。
江田神社!?
そこに行けばいったい何が起きるのか?
それは行ってみなきゃ分からない。
みんなこういうことがあると『ご利益があるんでしょ?』『なんか良いことあるんでしょ?』って言うけれど、はっきり言ってやってみなきゃ分からない。
行ってみて何にもないと感じることもある。
けれど、自分が預かり知らないところで何かはあるのかもしれないし、何もないということが良いことってことなのかもしれない。
たつみのりが行ったから同じようなことが起きるかって言ったらそういう訳でもない。
人は一人一人違うのだから、その人に必要なことがいつも起きるだけだ。
こういう時は理屈や損得勘定を出したら一生動けないし、それで動いても意味がない。
ま、とりあえず行ってみよう。
出来る範囲で乗れることには乗ってみるのがみのりん流なのだ。
乗らないことに乗らないのもみのりん流なのだ(笑)
アーティスティック三貴神+イザナギのじいちゃん
そんなこんなで仕事の合間を見つけて行ってきたのが、江田神社。
ここはイザナギのじいちゃんとイザナミさんがお祀りされているところ。
『とうちゃんとかあちゃんが一緒にいるところだな!』
神社に着く前からスサノオのおいちゃんはご機嫌。
家族は一緒がいい。
ずっとスサノオのおいちゃんはそう言っていたからイザナギのおじいちゃんがいて、ツクヨミさんがいて、アンジー(アマテラス)がいて、イザナミさんだけがいない状態はちょっと寂しいらしかった。
江田神社の近くには御池というイザナギのじいちゃんが黄泉の国でイザナミさんと離縁した後に穢れを落として三貴神(アマテラス、スサノオ、ツクヨミ)が生まれた池と言われる場所があった。
そして、神社の前ではやけにアーティスティックなみんなが待っていた。
おいおい!
すごいアーティスティックだな!!
そんな風に思うみのりんの頭の中ではなぜか戦隊ポーズを決める神様の姿があった。
(ツクヨミさんだけ渋々そこにいます感が何とも言えなかった。)
そんな神社の入り口を通り、ピンときた方にふらふらと散歩しながら御池まで歩き、江田神社の木札をゲットして帰って来た。
その時にふと思ったのは…。
神話の中では悲しい結末になってしまったイザナギのじいちゃんとイザナミさん。
でもあれから長い長い時が過ぎて、神様も世界と共に変化し、成長している。
『今の我々なら共にいることが出来るじゃろう。』
ここにみのりんの中ではイザナギのじいちゃん、イザナミのおばあちゃん、アンジー(アマテラス)、スサノオのおいちゃん、ツクヨミさんが一緒にいる状態が整ったと感じた。
みのりんの令和日本書紀の中ではみんな家族一緒にいる。
これで宮崎での生活も更に安定するかな?
江田神社の木札もしっかりとみのりん神殿に飾らせてもらって、これで宮崎での生活も更に安定するかなーなんて思っていた。
ところがところが…。
お気に入りのカフェを見つけたり、たつみのりなりに会社の仕事に取り組んだりする反面、たつみのりと会社の間での感覚のズレがとても大きいことも感じてきた。
周囲と調和しながらゆっくりとでも丁寧に進めたいたつみのりと、どんどん事業を展開していきたい会社側。
会社側はたつみのりの存在におおいに戸惑っているようだった。
※そりゃそうだよね(笑)
どうにかすり合わせ出来ないだろうか?
うーんうーんと会社員として生活する難しさをうん10年ぶりに感じる。
宮崎の過ごしやすさ、山の生命との地道な関わりと交流…そこに安堵や馴染みんでいきながら、反比例するように会社の方針とたつみのりの生き方はどんどん解離しているよう。
宮崎での生活にその一点だけに暗雲に曇りだしていた。