VSおチビさん!?
ボク、元気!
おチビさんの意志がはっきりと分かりやすくなった。
生まれたばかりの時はたぶん昼も夜も分かってなくて、生物的本能がおチビさんの存在を生かしていたようにも見える程だったのに。
『あれ!触る!』
『あっち!行く!』
『これ!違う!』
『てんてん!来て!』
『早く!』
おチビさんの意志は日に日に細かくなっていくのに、まだ言葉を身に付ける前というのもあり、どんどん読み取ることが難しくなって試行錯誤も増えていく。
状況によっては心境的に『VSおチビさん』に感じることもあったりして、く!手強いな!と悪戦苦闘に感じることも出てきたそんな折だった。
『お前はまったく…!』
あ!この『直接脳内に!?』みたいな感覚で話しかけてくるこの声は!
はっ!とすると同時に更に頭の中で話し続ける見えないその人。
『なぜ戦う心境になっておるのだ…。それも自分の子供相手に…。』
あーやれやれ…ほんとこいつは手がかかる…。
そんな気持ちを代弁するかのように久しぶりのイザナミのおばあちゃんだった。
ボク、大変!
呆れを含むような声で分かりやすーく額に手を当ててはぁ~とため息1つの左右にふるふると首を振る世も末ポージングなイザナギのおばあちゃん。
彼女の存在を感じるようになってから怒涛の妊娠発覚から出産を経て、おチビさんが出てきてからはすっかり気配を感じなかったのだけど。
今回はなんか伝えた方がいいなってことがあって出てきたんだろうだぶん。
『子と戦うな。』
イザナミのおばあちゃんはそもそも多くを語る女性ではない。
今回もただ1つ、それだけ伝えられたのだけど。
私たちは子と戦わなくてもいい。
そもそも誰とも戦う必要はない。(本来なら)
社会の仕組みやルールがそもそも子を守る状態が整えられていない上に、両親はそんな状態で子を守るために戦わなければならない。
そんな環境に多くの両親や子が追い込まれてしまっている。
それがいつの間にか処世術として子が社会に適応するようにとの親心から両親VS子という図式になってしまっていることも多い。
それに気付かないままいつの間にか両親が子を押さえ込んでしまうという流れ…。
思い当たる節がありまくりの私はぐぬぬ…となった。
ボク、頑張ってるよ!
『お前の立ち位置はこう!』
イザナミのおばあちゃんが直接脳内に送ってきてくれた図式は両親VS子ではなくて、両親&子VS◯◯(本当はこれも本来の形ではないがな!)という注意書き付きの図式だった。
この世界は全部が全部自分の形に合うようには出来ていない。
特に人間が作り出した人間社会に置いては時として生命を脅かす程に本来の姿とかけ離れてしまわないと適応していけない現実がある。
そんな世界に生まれた瞬間に実は子は必死に生き抜こうとして、その場に適応しようと必死なのだ。
息をすることも知らない。
口から食べ物を食べることも知らない。
どうやって眠るのかも分からない。
体は動かない。
言葉も話せない。
昼も夜も分からない。
この世界がどんな場所かも知らない。
頼れる存在は両親しかいない。
分からない…知らない…退路もないし、取れる手段はほぼ『泣く』しかない。
それでも生き抜こう。
彼らのそんな必死の試行錯誤が両親とぶつかったり、時として伝わらずにすれ違うこともあって、その度に子供と戦っている感覚になることもあるかもしれない。
それでも私の立つ場所はいつだってこの子の斜め後ろ45度なのだ!
向かい合う対立の場所ではないのだ!
同じ方向を向いて、ここぞ!って時にいつでも手を伸ばせる距離で、いつもはただ立って見守る位置に立って、不安で振り返った時ににやっ!と笑っているのが私なのだ!
それを忘れそうな時、ここぞというメッセージを伝えにイザナミのおばあちゃんたちはやってくる。
『じゃあの』
そして、全てを伝えるとまたぱったりと何も感じなくなった。(いるんだろうけどね、ほんとは)
まだまだ子育て歴11ヶ月。
これからどんどん彼の意志は強くのびのびしてくるんだろう。
おチビさんの【個性】そのものを伸ばしていく育児をたつみのりっちは見えない領域の力を借りながらも実践中である。
その課程は何より【個性】を伸ばすことが難しい環境で生きてきた自分の【個性】も同時に伸ばしていく課程でもあったりする。
いつでも茶々入れたるからな。
そんなイザナミのおばあちゃんのメッセージを体で感じた出来事だった。
おチビさんがやってきてもうすぐ1年!たつみのりっちの日々は続く…!