【ネタバレあるよ】セロ弾きのゴーシュ感想【殴り書きだよ】
・オープニング
「金星音楽団と団長」
〜何だよ音の表情って!!〜
私もピアノの先生に「あなたの音にはびっくりするほど感情がない!お姫様がボロ布着てる!!」って言われたことあるから気持ち、わかるよ…
うるさいうるさい!こっちだって一生懸命やってんだ!心を込めて〜って、だからその方法を教えろよ!!ってなるよね
・連日連夜のゴーシュさん宅深夜の騒音ご近所問題
「三毛猫さん」
〜何なんだよお前は!〜
すげぇ煽ってくるじゃん…?荒らしかなんかなの…??
めちゃ腹が立つ憎たらしい猫なのに、コミカルすぎてどこか憎めないのズルい。開口一番の「猫だよ」がイケボすぎて笑った。
表現活動してるとどうしたって、こういう輩とは出会うよね。
こっちは真剣なのに、面白おかしく茶化してくる。弾いてごらんなさい?とか上から目線でさ。
こっちが頭抱えて苦しめば苦しむだけ喜ぶんだ、腹が立つよね。
その怒りを音楽に昇華させて復讐したゴーシュ。
怒りさえも糧にしないと生きていけないのが表現の世界なんだろうな。
それにしたってトドメに舌を焼くのは…宮沢賢治さん…いくらなんでも私怨があり余ってませんか?なんかありました??
「カッコウさん」
〜音楽とは呼べないドレミファなんてないのさ〜
素直に助言を受け入れられないゴーシュに対して、貪欲に教えを乞うカッコウさん。
狂気すら感じる程の渇望。
命懸けのひたむきさ。
それまで、がむしゃらに悲愴に毎晩セロを弾き続けたゴーシュが止める側になるほどに。
きっと表現には必要なことなのに、それでも最後は報われずカッコウは血だらけでどこかへ飛び立つ結果になった。
何かを作り出すために、身を滅ぼすような献身ではダメだって伝えたかったんじゃないかな?
カッコウさんの布を翼に見立てた踊りがとても美しかったのに、圧と必死がすぎて「怖い!!」って声出ちゃった。
後々演者さんのバキバキの腹筋をお目にする機会があり、あの迫力はこの確かな筋肉に裏打ちされたプレッシャーか…!って妙に納得した。
「こだぬきさん」
〜よーし!さぁいくぞ!〜
純粋な感想に、どれほど心が救われるものか。
音楽って楽しかったんだって思い出せることがどれほど大切か。
ずっと必死で足掻いて力んでいたゴーシュが、やっと肩の力を抜いて深呼吸できた感じがした。
割れた窓から吹き込んだ風は、ゴーシュの心にも吹き込んでいたんだと思う。
音楽への向き合い方が、前向きになって視野が広まった感じがした。
ところで、突然「2番目の糸を引くときは遅れるね」と具体的に的確な指摘してきたこだぬきさん…ホワホワしといて、この子デキるわ…!なんて恐ろしい子…!!
「ネズミの親子」
〜僕らの音には力がある〜
自分にとっては苦しく辛かった日々が誰かを救っていた。
生前は報われることがなかった宮沢賢治の、報われる時が必ずある、そうあってほしいって希望を感じた。
あなたの音には力がある。病を治すそんな力が。
病の日々で、音楽や芸術に宮沢賢治の心も救われていたんだろうか。
私も常々、龍宮城の音楽を聴くと寿命が伸びると妄言吐いているので、本当そうなんですと色んな気持ちが重なってしまった。
「僕の音には」じゃなくて「僕らの音には」の歌詞だったことで、周りを受け入れられたゴーシュの成長とともに、龍宮城としての黎さんの姿が重なって何回見ても嗚咽を漏らして大号泣ゾーン。
素直に言葉を受け取れなかったゴーシュが、母ネズミの言葉を受け取って自分の音楽に自信をもてるようになってて、気がついたら鼻水垂らして微笑んでた。顔面大惨事。本当に配信でよかった。
あと、シンプルに母ネズミさんの歌がはちゃめちゃ上手い。
そして、声に出して言いたい「おパン」
「金星音楽団と団長」
〜音に心を〜
ゴーシュの「音楽が大好きなんだ!」の魂の歌声で、やっと引っ込んだ涙が一瞬で大決壊。涙と鼻水のビッグウェーブ。
音楽が大好きなあなたの音楽が、私も大好きです。
評価されたからって、満足できるものじゃないかもしれない。
金星音楽団にも聴衆にも何の悪気もないんだろうけど、手のひら返しって感じてしまう気持ちもわかる。
楽団長だって、苦しかった時に何も教えてくれなかったじゃないか。この力は動物たちと自分で手に入れたものなのにって、やるせないよね。
結局、表現の道では“怒り“からは逃れられないのかも。
それでも、怒りを芸術に昇華できるようになったゴーシュは、表現者として強い武器を手に入れてたんだなって。
荒らしも煽りも糧になるんだな、三毛猫さんの犠牲は無駄ではなかったんだ。だからって、荒らしはダメ絶対。
楽団長は、教育者というより表現者なんだろうな。人間くさくてどことなく憎めない。
楽団長の「身体が丈夫だから、こんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまうからなぁ。」を聞いて、健康な人への羨望を抱いていた病の宮沢賢治を重ね、多忙を極めたこの夏の黎さんを重ね
セットリストも舞台演出も自分たちで考えながら、あのタイトなスケジュールをこなしていた夏ツアー中に、いったいどれだけの研鑽を積めば、こんなに風に鋼のセロから音を奏でているように感じさせることができるのか
ほんと元気でいて…いっぱい寝ていっぱい美味しいもの食べて健やかたれ…って、最後にまた泣いた。
・エンディング
〜怒ったんじゃなかったんだ〜
先生をしていた宮沢賢治だから、導けなかった、自滅の道は進んでほしくなかったって教え子もいたのかもしれない。
カッコウに教えることで教えられ成長したゴーシュ。
教える側も人間だから、時には感情をぶつけてしまうことはある。
どうしたって後悔がついて回るのが人生。
割れた窓はもう戻らない。
血だらけの鳥は生きているのかもわからない。
カッコウとゴーシュの関係は、バッドエンドだった楽団長とゴーシュの関係だったのかもしれない。
このラストなのは、表現の道を進む全ての人へ、道を踏み外すことなく、できるだけ後悔してほしくないって、宮沢賢治の願いなのかなって思った。
・最後に
子どもの頃に本で読んだ時には、ゴーシュめっちゃナイーブでめんどくさいやつだな…くらいの感想だったんですが、大人になって改めて劇を見たことで、表現者としての成長物語だったんだって気づくことができました。おかげさまで、好きな作品の一つになりました。
ミュージカルに憧れて表現の世界に飛び込んで、龍宮城として魂削って心を音楽にのせて表現してくれる竹内黎さんが、この作品を演じることになった巡り合わせに感謝しています。
黎さんが「回ってきてくれた運と縁に、いつでも見合った実力と情熱を」っておっしゃってましたが、努力は報われる時が必ずあるんだって思えました。
ちょっと黎さんのがんばりがすごくて、神様もチャンスとご縁を大盤振る舞いしたみたいですけど。
最後になりましたが、
始まる前からチケット高額転売対策、多彩なグッズ展開と丁寧な発送、公演後の配信まで、迅速かつ素晴らしいご対応をありがとうございました。
このように愛と思いやりの溢れる劇を見せてくださったoffice8並びに制作に関わった全ての方々に感謝を込めて