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機能不全の家族は結局は、社会の歪みの現れだと思う

 父は苦労人だ。前も私に家族愛を説かないでほしい|望月希|noteで少し書いたが、父は幼いころから多くの人にもまれてきたのだろう。だから、よく父からよくこんなニュアンスのことをいわれた。「他人なんて信じるな。他人が自分のことなんて考えてくれない。だから、本当にお前たちのことを考えているのは私たち親なのだから、親の言うことを聞いとけ。」また、「お前らに能力なんてないのだから社会でやっていけるはずがない。」的なことも言われた。父にとって、私たちは子供で信じるに値しなかった。子供の意見なんて耳を傾けない人だった。父にとって、自分が苦労した分、私たち子供は甘ちゃんにしか過ぎなかった。まあ、甘ちゃんだが。

 今になって思うのは、小さい頃の私は、そうなんだと素直に話を聞いていたが、大人になるにつれ、父は少しおかしいと思うようになった。そして、父に足りなかったものは、他人を信じる力だったのではないかとおもう。確かに、私のことを一番考えてくれたのは両親かもしれないが、私は息苦しかった。むしろ、周りの人のほうがあなたはどうしたいの?って聞いてくれた。私が苦しんでいる時に、寄り添ってくれた。

 だから、私は、基本的に他人は自分のことを思いやってくれていて、私も他人を思いやりながら生きていきたいと最近思うようになった。もっと、この観点が自分の幼い頃にさえあれば、生きやすかったのかなって少し思ったからこれを書いた。

 親って難しい。子供は、親から親の世界観を受け取る。だから、親にとって世界が息苦しいものであれば、子供にとっても世界は息苦しいものとなる。だから、親ってすごく大切だけど、完璧な親もいないし、子供にとって良くない親もよく見ればその親の世界感を引き継いだだけだったりする。だから、その親だけを攻めれないからなんか難しいよね。

 昔、両親に感じたのは怒りだったが、今、感じるのは同情で、むしろ、こんな風な人を生み出す社会の仕組みに憤りとそれをどうにもできない自分にもどかしさを覚える。



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