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世の中は意外と優しいのかもしれない

  この世には人の愛情を受け取りやすい人と受取りにくい人がいると思う。私は完全に後者で前者の人をおめでたいやつって見下していた。ただ、最近、私がひねくれまくっていただけで、世の中は案外優しいのかもしれないと思うようになった。

 なぜ、私はこんなにもひねくれ曲がっているのか?この答えは、家族にあると思う。両親は共働きで、真ん中っ子の私は親の愛情を受けにくかった。母からひたすら悪口を聞かされた父方の親族とは仲良くなれなかった。だから、私の面倒を主にみてくれたのは母方の祖母のみだった。といっても、週に1,2回来てくれるぐらいだったのだが。私は父と母に甘えた記憶がない。まあ、妹も「お姉ちゃんが両親に甘えたことを見たことがない」と言っていたからそうなんだろう。父と母は「私が手のかからないいい子だった。」というが、ただただ面倒を見てくれなかっただけの間違いだろと思う。一番私のことを愛してくれるはずの両親がこれなのだから、もっと世知辛い世の中はきっと私なんて愛してくれるわけない。こんな思いが心の奥底にあった。だから、完全に私はひねくれ曲がっていた。大好きな友達のものを壊したり、悪口を言ったり、色々した。(その頃から付き合ってくれている友達よ本当にありがとう。)まあ、今では少なくなってきたが、まだ、少し残っている。ごめん、少し話がそれた。

 じゃあ、なんで他の人からの愛情を受け取りにくいのか?愛情を受け取ってこなかったからわからないのだ、愛情の示され方も示し方も。だから、すくすく子供のころに愛情を受けた人間が少しうらやましい。どうしてそんな根拠もないのに自身が愛される存在だといえるのか?前よりましになったが自身が自身を愛せるのはまだまだ頑張ったという条件付きでしかない。そしてどうして自然と愛し方も愛され方もわかるのか?私はわからないから周りの様子を見て、周りがやってくれて初めて学んで返すことができる。なかなか難しい。

 でも愛情の受け取り上手な人がさらに周りから愛され、受け取り下手な人間はさらに受け取りにくくなる。この悪循環に終止符をうけないといけないのに、なかなか難しい。

 そうだから、前者の人間にとってきっと世の中は優しいのだ。私がなれるかわからないが。

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