僕がいばしょをつくる①
居場所を作りたい。
その感覚は過去のしんどかった頃の自分を助けてあげたいという気持ちがベースにある。
あの頃の僕はプライドがめちゃくちゃ高かったので、誰かに何かをして欲しいとは思っていなかった。
サポートや、支援が欲しいとも思っていなかった。なんなら誰かが言える言葉なら自分で考えられるとすら思っていた。
とても傲慢だったが、そうやって世間と自分を分離することで、自分が孤高であると思い込もうとしていたんだと思う。
それ故に出さなくていいトゲを出しまくり、自分の居場所を自分で潰していた。
誇張なしに、クソダサプライド肥大傲慢ウンコ太郎だった。
そんなだから学校や、所謂普通の社会みたいなものに馴染める感覚も持てなかった。
大切にしてくれる人の言葉を踏みにじり、無視し続けてきたのだから馴染めないのは当たり前である。
勝手に沈んで、閉じこもり、関わりから逃げて、一人汗をかきながら何もできない自分に焦り続けた。
ただ所属が必要だという感覚があって、そこに強い意思があったので、なんとか普通の生活に戻れたのだと思う。
そこまで拗らせていたのに意思を保てて社会に戻れたのは、僕の周りの人がただただじっと待ってくれていたからだと随分立ってから気づいた。
ただそこにいてもいい。
何かをしてもいいし、しなくてもいい。
何かをしたいと思った時に言葉を放てば、こんなのがあるよと教えてくれた。
いつもその一歩を辛抱強く見てくれていたように思う。
そのスタンスにどれだけ救われたかわからない。
当時はただ自分が頑張って何かを勝ち得たような気持ちになっていたけど、事実は大幅に違う。
今では全方向に感謝を感じている。
どこにも足を向けて寝られないので立って寝るしかないかもしれない。
幸いブラジルには友人はいない。良かった。
今の僕の状況としては社会人10年ほどが過ぎて、所謂普通の生き方でも大丈夫になった。
めちゃくちゃ理解のある陽気な奥さんと将来有望の元気いっぱいの子供いる。
じゃあ、こっからはちゃんとやることを選んで形にしていく姿を子供に見せたい。
それで食っていく方法を見つけられたら、一生の仕事に出来る。
どうせ死ぬまで働かないといけない世代。それならやりたいことで勝負だ。
けどどうやって居場所つくりから仕事を作れるだろうか。
いや、本当に仕事にしなくちゃいけないのかな。
場所を維持して可能性を広げることからスタートできたらいいかな。
あの頃、欲しかったものって中々言語化できないな。
ただ僕は子供もいる。大きなリスクはとれないぞ。
けど子供のためにも僕の見せたい姿をちゃんと形にしないといかんぞ。
今の僕でもできるかもしれない居場所作りってなんだ?
それを考えるために居場所作りを実際している所に話を聞きに行くことにした。
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