[第十七話]T監督の移動。そして2回目の左手負傷。※痛い話をします。閲覧注意。
3月。
先生の移動の時期。
T監督は、私が母校に入学した時点で既に着任から10年近く経過していました。
公立高校なので、そんなに長く1箇所の学校にいる事も珍しく、先輩達の代くらいから”そろそろ移動かな?”なんて事を呟いていました。
なので、私たちの代は、先輩達の代と比較して、母校が築いてきた伝統やルールについて、先生自身から厳しく言われる事は少なく。
むしろ先輩が母校の弓道部のルールや暗黙の了解と言うものについて指摘してくる事が多かったです。
私が1年生の時に受けた説法も、後輩が入る頃にはすごく減ってしまっていました。
案の定、私たちの1年上の先輩の卒業と同時に、T監督は移動となりました。
私は、引退まで、T監督のご指導を受けたかったのですが、音楽と違い、学校の部活は師事する先生を選ぶ事は出来ない。
仕方のない事でした。
移動が発表された後、T監督が部活に来る時間は減りました。
その代わりに、次の監督となる、元国体選手の数学の先生に指導してもらう事が多くなりました。
そんな折、私は山梨遠征のあたりから、少しずつ手を故障し始めていました。
年明けから、T監督に手の内を矯正されており、弓の持ち方を変えていました。
弓手の角見をよく利かせて真っ直ぐ、押せる手の内を作るために、親指と人差し指の間の皮を巻き込んで手の内を作る様に、教えられていました。
それを実践していたところ、確かに、少しずつ矢が暴発すると言う事は無くなっていました。
しかし、一回一回弓を引くのに痛みはありました。
“慣れればなくなるかな?”と、思い、先生に相談せずにそのまま練習を続けたのが良くなかった。
少しでも、痛みや無理を感じたら、指導者に言った方がいいです。
慣れれば取れる痛みと、良くない痛みがある。
私の場合は”良くない方”でした。
初めは手が乾燥しただけと思っていました。
弓道のあとはハンドクリーム、保湿をしてケアをしていました。
しかし、皮膚に1ミリ位の亀裂が入り始めました。
絆創膏で抑えていましたが、その亀裂は広がり、ガーゼに。
亀裂が入ってから1週間、悪化し続け、傷の深さも出てきたので、皮膚科に行き、薬を処方してもらいました。
しかし、普通の薬では治らないどころか悪化。
最終的には左手親指から人差し指にかけてパックリと皮膚が開き、またしても手が腫れ上がって掌が4倍位の厚さになってしまい。
しかも化膿までしてきたので。
初めは”様子を見よう”と言っていた医師も、2週目にはステロイドを処方。
3週目に
と、ドクターストップをもらってしまいました。
…しかし、県総体まで3ヶ月を切っている…
絶不調は改善されない…
流石にやばいと思って、ドクターストップを無視して3日くらい、練習に参加していたところ……
思いっきり、握り革に肉を喰われた……
という事で、この辺りから、弓どころか、モノが持てなくなってしまって、弓を持った練習が当分出来なくなってしまいました。
手にはガーゼとテーピングをぐるぐる巻きの状態。
またしても、何も持たない射法八節の練習。
すると、新監督が、荷造り用の紐を輪にしたものをくれました。
新監督から貰った荷造り用の紐を使って離れをすると。
…と、ショボい音が鳴る。
これを見ながら、ゲラゲラと笑う……同期男子連中。
この人達は、本当に他人の不幸をよく笑う……デリカシーという概念は持ってないんだろうな。きっと。
入部当初からなので、期待はしていないけれど!!
怪我をした場所が場所なので…
すごく傷が塞がりにくく、弓をまともに持てる様になったのは、4月の下旬……
ガッツリ負傷中のまま地区大会に出場し。
その後の遠征でもまだ治り切らず。
完全にテーピングが取れたのは、県総体の直前でした。
骨折より軽症なのに、骨折より完治に時間がかかってしまった。