【よもやま話】22歳で11年ぶりにクラシックピアノを再開して28歳で初めてコンペに出た話③
ピアノは、小さい頃から真剣にやらないと、難しい曲は弾けない、上手くならない。
そう言われていますが、再開した当時も今も、それを否定しながら修行中です。
確かに、指の速さや上達スピード、努力ではどうにもならない事もありますが、補える事もたくさんあります。
また、世の中には、勉強になる書籍や、現在はYouTubeで活動されているピアニストもすごく為になることを言っていますが、
この記事では、自身の記録も兼ねて体験したことを書いていきます。
まだ何者ない奴の雑記ですが、「こんな人もいるんだなぁ」と思って読んでいただければ幸いです。
15年ぶりの舞台を終えた後、新しい課題をいただきました。
•Moszkowski:Etudes Op.72-2
•Mendelssohn:Duet
2014年は、まだ九十九里のリゾートバイトをしていたので、6月のピティナステップの後は、すぐ繁忙期に入ってしまいました。
勤務先の首領(ドン)「0w0(仮)ちゃん!!稼ぎたいでしょ!?来月と再来月の休みはないからそのつもりで☆」
私「承知致しました。(まぁ、稼ぎに来てるし、暇だからと待機させられるよりいいか…)」
労働基準法をガン無視した、すこぶる体育会系な夏が確定したので、7月から3ヶ月ほど、T先生のレッスンは完全にレッスンをお休みしました。
それでも、職場の敷地内に寮があったので、他の短期間のバイトの子達ともご飯食べたり、職場の温泉入ったり(従業員は温泉の利用ができた)して、コミュニケーションを取れる時間も確保しつつ。
1日最低4時間程度は、ピアノに触る時間をとる事はできました。
なので、拘束時間は長かったですし、7、8月は休日が月3日と言う、一見とんでもない一夏でしたが、練習時間の確保に困った、と言う記憶はないです。(仕事場に住むの、最高。あと、毎日温泉に入れたおかげで、疲労感を最大限にとれた事は大きいです。本当にありがたかった。住込は温泉とご飯貰えるところがおすすめですよ!!)
9月に入り宴会シーズン!!かと思いきや、思っていたより仕事が落ち着いていた為、運良く2週間の夏休みを頂くことができました。
しかし、ピアノのレッスンをお休みするとT先生に言っていた手前、予定をいきなり変えるのも気が引けてしまいました。
なので、私が物凄くリスペクトしているピアニストのコンサートツアーに、全日程オーディエンスとして参加させていただく事にしました。
コンサート会場は、紀伊半島の山奥。2週間かけて、紀伊半島の各地を回ってコンサートをするというものです。
私が20歳の頃から”死ぬまでに絶対に行きたいコンサート”だったので、夢が叶いました。
しかも、ありがたいことに、その時に出会った方々とのご縁は今も繋がっており、更に広がっているものだから、あの時、本当に行ってよかったです。
2週間の夏休みの後、仕事は閑散期に入り、ピアノのレッスンを再開しました。
それと同時に、12月の発表会の曲が決まりました。
2014年12月 門下発表会
•Mendelssohn:Duet
※動画は、2014年発表会前日に撮影したもの
門下発表会の曲のレッスンの途中で、追加で課題をもらいました。(そして、これも2ヶ月程度でさっくりと終わる)
•Mendelssohn:The poet's harp
•Mozart:K.576
※動画は2014年12月に撮影したもの。この年はメンデルスゾーン ばかり弾いていました。
門下発表会を直前に控えたある日いきなりT先生が、仰いました。
T先生「発表会で、弾いてほしい曲があるんだけど。リストの曲。なんだったっけ?」
T先生「そうそう。波を渡るパオラの聖フランチェスコ。あとで聴いてみて。今年、弾ければ弾けばいいし、来年に向けて、1年かけて目標にするのでもいいんじゃない?とにかく聴いて楽譜見てみてよ。」
九十九里までの帰り道。早速、楽譜を購入し、YouTubeで演奏動画を確認しました。
私「(いやいやいやいや(笑)こんなん、絶対弾けないでしょう!!なんじゃこりゃぁ!?)」
先生はすごくシレッと、簡単に仰ったが、明らかに自分のレベルに見合っていなかったです。
まず、耳の解像が追いつかなくて、何をどう弾いているのかが、全くイメージできませんでした。
だけど、弾きたい、という気持ちが強かったので、無理と決めつけずにやってみることにしました。
はじめての大曲。
曲を頂いた2014年11月下旬位から、リゾートバイトを終える2015年1月位までは、よく演奏動画を見て、耳を馴らす事からはじめました。
本来は、初めから音源を聴いてしまうのは、ご法度。と、子供の頃に言われていましたが、楽譜を見たところで、全感覚器官がフリーズするだけなので、話になりません。
そして、相変わらず、楽譜アレルギーなので、楽譜をA3超拡大コピーして、ゆっくり練習、1日4小節ずつ毎日さらいました。
ひたすら音名声に出して、それに合わせながら指動かして、ある程度覚えたら繋げて。
とにかく、全く理解できないものを、自分が理解できるレベルまで落とし込んで、出来るものから少しずつ肉付けをしていって…というやり方で読んで、指に覚え込ませていきました。
インテンポで弾く事より、鍵盤の上を指が”駆け足で最後まで完走”できる事を目標に、練習していました。
その甲斐あって、何とか2015年の6月のピティナステップで初出し。翌月のアールーンの舞台と、その年の12月のピアノの発表会で弾くことができました。(音楽性もへったくれもあったものではないですが。)
しかし、この曲は2014年の冬に譜読みを開始してから、現在に至るまで、長いお付合いになるとは……この時の私はまだ知る由もなかったのです……。
2015年6月 ピティナステップ/2015年7月 アールーン/2015年12月,2016年1月 門下発表会
•Liszt:Légendes St.François de Paule marchant sur les flots
※動画は2015年12月に撮影。休符のやバランス感覚が完全に死んでいますが、よく弾いたものだと、我ながら感心する。振動でカメラ動いていて見にくいです。スミマセン。
2015年6月のピティナステップLisztを弾き切った後、初めて大曲が弾けたことで、少しばかりの自信がつきました。
私「(音を追いかけるだけなら、もしかしたら、少しずつ噛み砕けば、何でも弾けるかも?)」
ピティナステップの後のレッスンでの次の曲を決める際に、弾きたい曲を片っ端から挙げた結果、ChopinのBallade No.1に挑戦することになりました。
難しくて長めの曲を取り組む感覚を覚えているうちに、他の大曲を弾きたいと思っていました。
この辺りから、レッスンの曲や舞台で弾く曲は、先生の助言を頂きながらも、自分で決めることが多くなりました。
Ballade No.1の譜読みもLisztと同じく楽譜を大きくコピーして、声に出しながらゆっくり練習しました。
この頃は、細かい音ほど”音程を取らずに音名とリズムを読みながら指を動かす”というやり方をやっていました。
Liszt Légendes St.François de Paule marchant sur les flotsの中間部の左手スケール
ChopinのBallade No.1の展開部第3群右手……
テクニックが稚拙な為に、思い通りになってはくれませんでしたが、音を並べる程度なら、出来るようにはなりました。
もちろん、最終的には平面的ではなく、フレーズとして成立する演奏を意識して練習をしないければならないのですが。
”まずはやってみる”と言う意味では、当時の自分の実力を考えれば、及第点だったと思います。
Chopinの譜読みと同時期に、作曲理論の学習を開始しました。
ここでは作曲理論学習についての言及は割愛しますが、2015年6月以降は、作曲関係の学習とピアノが同時並行で進むことになります。
そして、Ballade No1初だし舞台は、2016年2月のピティナステップとなりました。
2016年2月 ピティナステップ
•Chopin:Ballade No1
※動画は2016年2月に撮影したもの。後半カメラが動いてしまい、見にくくなってます。ごめんなさい。
もう少し続きます。