[第六話]手首骨折からの、的前。
3年生の先輩達は、県総合体育大会で優勝。
インターハイ出場を決めていました。
そのタイミングで、T監督が部員全員を集め、30分程度、ミーティング。
そんな中で、こんなお話を頂きました。
おおよそ、こんな事を仰っていました。(一言一句は覚えていないが”正義は勝つ”と言う話と”弓道で飯は食えない”と言う話は、確かこのタイミングでした。
そんなありがたいお説法を頂きながらも、県総体が終われば、勝っても負けても代替わり。
初夏。新部長、新副部長と、各役職が選任されて、1,2年生主体の部活がスタートしました。
そして、我々1年生は巻藁練習ができる人から順番に巻藁練習…
私も、3年生が県総体を終えて、しばらくしたところで、巻藁練習に入ることができました。
…ところが…
7月……
夏休みを目前に控えたある日の事です。
いつものように、部活に行くために、自転車で学校に向かっていました。
その道中……人通りの少ない土手沿いにて。
強烈な目眩に襲われて、意識が飛びました。
ただの貧血です。
気がつくと、左手が、自分の身体の下敷きになっていました。
しかし、その時は痛みは何もなく、しかし、手首に力が入らなかったです。
外見上は、何事もなかったので、学校に着く頃には回復していると思い、そのまま何事もなかったかのように、自転車を走らせました。
しかし、学校に到着すると先輩が叫びます。
先輩の悲鳴により、左手に目をやると、自分の手が3倍くらいに腫れ上がってました。
あっけらかんと、そんな感じで言うと、先輩から喝が入りました。
散々ゴネたので、その時は、先輩は引き下がって、とりあえず”準備だけ”は参加させて貰えました。
しかし、部活が始まる直前になって、部長がおっかない顔をして私の元へやってきました。
1年しか歳の差がない先輩に、ガッツリ大人対応でなだめられた……お子様という感じ……
今日のところは、引き下がるか…と、帰りの道中。
手に痛みが出てきて、家に着く頃には声が出せない程度に激痛が走っていました。
病院行かなくてもいいかな?と思っていましたが、流石にヤバさを感じ、母の職場に電話。
フラフラしながら、母の職場にお金と診察券を取りに行く。
母の職場近くにかかりつけの整形外科があったので、よく行く場所だったので、ひとりで行き。
見事に”折れている”と、診断。
とにかく痛みが凄かったので、すぐに痛み止めを飲ませて貰いました。
ギブスを作っている間、シクシクと泣く私に看護師さんが優しく、
と、幼児をあやすかのように声をかけるが、私が泣いているのは、手首が痛いからではない。
“全治1ヶ月”
その間、弓道をやる事ができないことが、悲しくて悲しくて涙が止まらなかったのです。
しかし、骨折をしていても、部活には参加していて、できる事をやらせてもらっていました。
私が骨折で弓が引けない間、同期のうち2人が、的前練習に合流していました。
私は、他の人が巻藁練習をやっている時は”道場周りの草むしり”をさせられていたので、指を咥えて、その様子を見ていました。
程なくして、ギブスは取れ。
すぐには弓を持たせて貰えませんでした。
しかし、ギブス外れて3日目、状況は急展開します。
部長に、ハッキリそう言っていたのが聞こえました。
そして、部長から、巻藁練習の許可が降り、すごく久しぶりに、同期のみんなと巻藁練習に合流。
その日の午後。
こうして、同期の中では3番目で的前デビュー。
手に違和感はあったけれど、初めて立つG高校の射場からの景色と空気感は少しピリッとしていて、爽やかな風が吹いていました。