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だから人に嫉妬されたく無い。

ピアノの話。

ピアノってめちゃくちゃ難しい楽器だ。
弦楽器や管楽器の様に、音程鳴らす練習しなくても鍵盤押せば鳴らせてしまうところが非常に難しいと思う。

そんな楽器だから、短期間である特定の、憧れの曲を弾ける様になる程度なら、ある程度の年齢になればできる。

誰かの結婚式の余興でポップスのアレンジを弾くことも、副科ピアノでソナチネやベートーヴェンソナタ…あるいはバッハの平均律程度なら、誰でも少し練習すれば音を追う位ならば、誰でも出来ると私は思う。

流石にショパンは、いくら簡単な曲でも手首が使えないと指先のテクニックでは弾くことは出来ないけれど。

だけど本当のことを語るとすると。
毎日毎日、正しい練習方法で自分のレベルに合った曲でステップアップをしていったとしても。
5年やってほんの少し…
10年やって漸く入口に立てる程度。
それ位の習得速度だと私は思う。

コンクールに出ている子どもたちは、どうしてあんなに上手いのかというと。
凄く音数の少ない曲を何ヶ月もかけて、1音の音質やタッチ、呼吸などに凄くこだわってレッスンでもステージでも練習を重ねるから、難しい曲を弾いた時に、練習さえすれば何となく綺麗に仕上るものだと私は思っている。

理論なんて大人になれば勉強すればわかる。
技術は大人になってもつくけれど、みんな肝心のたった1音の音質やタッチ感を何時間もかけて、何ヶ月も使って練習する忍耐力がないんだ。

私が難しい曲を弾ける様になったのは、コンクール強強の先生に師事させていただいた事は大きい。
しかしその先生の出す課題に何とか喰らいつく事ができた理由は、その前の地元先生の指導の元で、約1年半をかけて指のフォームから、打鍵する瞬間の感覚、指が戻る感覚や体のどの筋肉や関節を使うのか、という事だけに集中したレッスンや練習をしていたからだ。

その間、曲なんて1曲もやっていない。
それどころか、1回のレッスンではほとんど1つ〜5つくらいの音しか見てもらえなかった。

例えばバーナムとか、ツェルニーとか。
教材として使ってはいたけれど。

「今のあなたは、簡単に1曲弾けてしまうのかもしれないけれど、私のレッスンではそれは意味のない事なのよ。
1小節。本当に注意深くやってみて?」

そう言われながら課題を出された。

いくら注意深く1小節を鳴らしてみても、実際には1音か2音しか…左右どちらかの手しか見てもらえない事は珍しくなかった。

大人になれば、ほとんどの先生は「そんな事やってる暇あるなら好きな曲を弾いた方がいい」という事を言うかも知れないけれど。
それで今のレベルから飛躍的に跳ね上がる事はできるんかい?

私はT先生には「いきなり上手くなった」と言われてきた人間だが、私の中では全く唐突な事ではないのである。

コンクールの審査委員長を務める事すらあるT先生ですら、私の飛躍を時に「才能」と表現する事があったけれど、私の手にはきちんと裏付けされた筋肉と感覚があった。

「才能」という言葉の軽さを同時に感じながら、その時ばかりはレッスンを受けたものだ。
(T先生のレッスンは、地元先生とは違う考え方を教えて頂けたのでとても勉強になりました。)

極端な例かも知れないが、それ位ピアノを弾く手を作る作業は地味なのだ。

地元先生は「ちゃんと手さえ作れば80歳を越えたおじいちゃん、おばあちゃんでも多声の曲をしっかり弾く事ができる」と言う事をレッスンの度に仰っていた。

そのノウハウがあるからこそ、自信を持って毎回その様に言っていたのだと思う。

だから、大して手ができていない内から難しい曲を弾き。
しかも止まらない、暗譜出来るまで弾き込む事を日常としてきた事もない連中が、ピアノを弾く技術が定着していないのって、私から見れば凄く当たり前のお話なんだよね。

運動神経の問題ではない。
才能とか素質以前の話。
プロセスを踏んでいないだけのお話。
才能なんて、それなりに弾ける様になってから初めて語る事が出来るものではないだろうか。

弾けないのには必ず理由があるんだから、それくらいやって来なかった人間に嫉妬されるのは迷惑なのである。

私はめちゃくちゃ努力してきた人間ではないし、そんなに上手くはないけれど。
今弾けるレベルの曲を弾けるようになる程度の何かはそれなりにしてきた、ということなのだ。

…まぁまぁ、今より弾ける様になりたければ、やってみるといいと思います。

私は地道で忍耐を試されるレッスンはすごく楽しかった。
今でもやって良かったと思う。
何故なら練習さえすれば、大抵の曲は弾けると言えるからだ。

このやり方はこのやり方で、デメリットもあるので、その話はそのうち…

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