[第十三話]都道府県ブロック大会。
都道府県ブロック大会。
流石に、私は連れて行っては貰えないだろう…
そう思っていました。
前にも後にも、この大会だけは着いて行きたくなかったですし、出場したくなかった。
自分が母校の弓道部員である事実がとても重く感じたのも、前にも後にもこの時だけでした。
3年間、弓道部をやっていて、1番キツいと感じたのは、2年生の時の都道府県ブロック大会期間です。
だけど、この日のことは、私は認知症になって世界が認識出来なくなるその日まで、忘れる事は無いと思います。
とにかく、自分の実力に見合っていなさ過ぎたのと、同じハチマキ、同じ高校名で出場している先輩達との差が激しすぎて、自分の学校の道場で、新チームのみんなとやり直したかったのです。
もしくは、1人で馬鹿みたいに射込をしたかった。
しかし、都道府県ブロック大会の選手発表の時、私の名前が貼り出されていました。
このレベルになると、全校生徒の前での壮行会も、弓道部とソフトボール部だけになり。
自分のクラスでは、壮行会に出る人は私1人となっていました。
自分の実力不足と、自分が一切選手として貢献していない状態で、駆り出される試合が、こんなにしんどいものだなんて、知りませんでした。
何も知らない人は応援の言葉をかけてくれるのですが、それがさらに自分の劣等感に拍車をかけ、応援される度に萎縮していました。
大きな舞台に立てれば、少しは自分が凄い人になったかのような勘違いくらいは、出来ると思っていた。
だけど、そんな夢を見せてはくれなかったです。
最も、T監督は、私に勉強と経験をさせる為に、私の為を思って、補欠で出場させてくださったのですが。
当時の自分は、あまりにも幼稚すぎて、そんな事が理解が出来ませんでした。
勝てない試合、勝つ気のない試合に出るなら出ない方がマシだと思っていました。
きっと、今の私なら開き直って”ちょっと、勉強がてら覗きに行ってくるか♪ラッキー。強い学校が見れる貴重な機会!!ごちそうさまデス!!”とか言いながら。
タダでは帰ってこない、出来る事を普通にやってこよう。
その結果、残ればラッキー。落ちても何かしらか次が見えるはずだ。
…と、自分のレベル相応の”やるべきこと”に真っ先に目を向け、鼻歌でも歌いながら参加してくるでしょう。
だけど、幼稚だった私は、それができませんでした。
今思えば、新チームの為に、自分が何かを吸収して、それを伝えたり、見せたり出来ればよかった。
T監督も、私が「何かを掴む事を期待して出した」と仰っていたけれど。
情けない事に、これを理解する事ができなかった所か、自分が持つ自分勝手な劣等感で勝手に自滅してしまったのです。
都道府県ブロック大会前日の大会会場練習後。ミーティングにて。
と、監督は言い切っていました。
そのミーティングが終わると、もう1人の補欠の先輩は静かにどこかに行き、数十分後に戻ってきたと思ったら、いつもの笑顔が戻っていました。
しかし、その笑顔は、すっかり泣き腫らした顔をしていた事を覚えています。
私の方は。
会場練習が終わり、学校に戻ると、大会出場メンバーだけで1時間ほど練習をする事になりました。
立メンバーは、練習に集中する為、補欠の先輩と私で矢取りをしていた所、しばらくして私だけがT山監督に呼び出されました。
私は「(何故、このタイミングで草むしり!?)」と、不審に思いながら、呼ばれる方向に行きました。
T監督と一言も会話する事もなく。
無言で数分、草を取っていると、同期が1人、授業が終わり道場にやってきました。
同期は足早に、補欠の先輩のいる看的に向かい、先輩と合流。
無言で草を取ってる私に、いきなりT監督が質問をしてきました。
全然確信していなかった感覚を、その表現でいいのか、解らないまま。返してみました。
その次の言葉を言われる前に、この時ばかりは、T山監督の言いたいことが理解できてしまいました。
流石にハッキリは言わなかったけれど、次の言葉をT監督は続けました。
そこでお話は終了。
その瞬間に、都道府県地区ブロック大会の当日。
私のやるべき事は決まりました。
前にも後にも。
この都道府県地区ブロック大会の期間ばかりは、底なしの孤独感を感じていました。
だけど、先輩との訣別を決めてからは、物凄く寂しくはありましたが、肩の荷が少しだけ下りた感覚もあり、なんとも形容し難い、複雑な感情だった事を覚えています。
ただ、厄介だと感じたのは、
男子の先輩達は応援に来ており、事情を全く知らないので
と、何度か言われた事でした。
だけど、私は前日にT監督に言われたことと、自分が取ると決めた行動を説明する事も、それを悟られる事もされたくなかったので、ニコニコしながら、
と、男子の先輩からも、先輩チームの応援の時以外は逃げ回らなければなりませんでした。
…結局、大会期間中は、会場の巻藁を1日中。ひとりでアホみたいに周回し、先輩が巻藁練習を始めたらトイレや更衣室に避難をする。
という事を永遠とやっていました。
そんな事を考えつつ。
当たり前のように戦力として大会に出て、立の一員として認められて会場にいる、他校の出場者の皆さんを、流石の私も、この時ばかりは心底羨ましく思ってしまいました。
先輩が優勝できるのか、どうなのかについて。
私は、私が先輩にくっついていようがいまいが、当然優勝すると思っていました。
何故なら、いつ20射皆中をやってもおかしくないくらいの安定感は外から見ていてありましたし。
なによりも、どの学校よりも体配、射技全てに余裕を感じられて美しかった。
…と、傍目から見ていて思っていました。
苦しくて、逃げ出したくて、今にも泣き出しそうな自分を落ち着かせながら、誰にも胸中を打ち明けることもできずに、都道府県ブロック大会で同行した2年生は自分1人。
そんな状態で、男子の先輩達と一緒に応援しながら見ていた、先輩達の立を超える美しい射技を私はおそらくこの先も何十年経っても忘れる事はできないと思います。
失礼ですが、他の学校が、バラバラでテンポの速い体配、あまり気配りを感じない射技をしているのを見て”何故あの学校がここまで残っているのだろうか。”と、感じていたのも正直なところです。
しかし、決勝戦で当たる事になった、H学園は少し様子が違いました。
立メンバーは落ち以外全員2年生。
H学園の大前の人(私と同じ学年)は、翌日の個人戦で優勝していましたが。
(地区ブロック大会では予選と準決勝は3中以上で通過。優勝した人は決勝射詰めで10本連続めちゃ余裕で的中させていた)
先輩達ほどではないが、体配はキッチリ揃っていて、射形もめちゃくちゃ安定していた。
H学園とは、表彰式が終わった後、一緒に写真を撮って貰いました。
私は、そこに写る資格はないと思っていたので、少し離れた位置から撮影が終わるのを待とうとすると。
男子の先輩は”行って来なさい”と言うし、女子の先輩も”0w0(仮)もおいでよー!!”と、誘ってくれるので、写る事に。
……向こう10年近く、H学園の弓道部のホームページにその写真も掲載される事になるのですが……。
先輩達が本当に嬉しそうだったので、いい事にします。
都道府県地区ブロック大会の後は、私も泣いてしまいそうになりましたが。
私には涙を流す資格はないと思い、だいぶ堪えました。
そのせいか、表情筋が次の日に筋肉痛になってしまったのは、言うまでもありません。
その年の冬くらいに、H学園の当時の部長さんに、SNSでたまたま声をかけられて、その後にメールをやり取りする仲になったのですが、なんと、決勝で当たった学校の部員数は100名超え。
とにかく選手層の厚い学校だという事を聞きました。
H学園の部長さんとは、メールでしかお話した事ないけれど、とってもいい人という事が文面から伝わって来ていました。
そして、先輩達は、物凄い所に勝ったのだ、と言う事を知りました。
この話も、誰とも共有できないお話。
誰にもしてないから、多分当時の部員全員知らない。
この話は私の中では、長年、部活生活トップシークレットのお話でした。
ここだけの話で、書くのも語るのも初めてです。
だけど、そろそろ大昔の時効のお話なので、いいかな?と、思い、吐き出してみました。
多分、本当に、ここだけ。文章化できて、知り合いが少ないここだからできる話。
金輪際、この話はしないと思います(´-ω-`)
誰とも共有することはないと思いますが、時効なので書いてみました。