日常のレトリック
わたしは苦痛を味わうのが嫌いで、体を鍛えることなく生きてきた。それでいて、たいして丈夫ではないが、不健康でもない人生を歩んできた。しかし、鍛えていない体というのは年齢を重ねるとガタがきやすいようだ。
苦痛を味わうのが嫌いなので、わたしはすぐ医者にかかる。医者にかかると、小さなころの自分自身に体を鍛えておけと言いたくなる。大人がうるさく言ったのはこういう理由だったのか、と今さら納得する。わたしがうるさく言う側に回ったら、後々どれだけ痛い思いをするのか教えよう。
わたしは昨日も医者にかかり、薬局へ行った。結構混んでいた。いつも通り、番号が印字されたレシートみたいな紙を受付でもらう。座ってボーっと順番を待っていると、老人が困っていた。相手をしていた若い薬剤師も、やはり困っていてイライラしていた。
きっかけは些細なことだ。薬を受け取るとき、受付でもらうあの紙を薬剤師に渡す。その紙を老人が探すのにもたついている、それだけだ。台本風に再現するとこんな感じだった。
薬:「○番の○○様ですね。番号札をお渡しください」
老:「え…番号札ですか…?」
薬:「はい。番号札です」
(老人、自分の手提げをまさぐりながら)
老:「ええっと、すみませんねえ…番号札、ですか…?」
薬:「はい。番号札です」
(薬剤師、イライラし始める。老人、ずっと手提げの中を探す)
老:「ええっと…番号札…?」
薬:「そうです。番号札です」
老:「ごめんなさい…番号札ですよね…?」
(老人、ぺこぺこ頭を下げながら手提げの中を探す)
薬:「ないんですか? お持ちですよね?」
老:「本当にすみません…ごめんなさい…」
(老人、何度も謝りながら、ずっと手提げの中を探す)
薬:「ありませんか? 番号札」
(薬剤師、声に怒気がこもる)
老:「ごめんなさい。番号札? …ですよね? 本当にすみません」
薬:「○○様ですか? 受付されましたよね?」
老:「そうです、はい…ごめんなさい…あ…! ごめんなさい、ありました。本当にすみません」
老人と薬剤師のどちらにとっても幸せでない一コマだった。老人は、あのレシートみたいな紙が「番号札」であると、とっさに思い至らなかったのだろう。薬剤師は、「番号札は、番号札だ」というトートロジーで対応してしまった。「番号札」を「数字が印刷された紙きれ」に言い換えるような迂言法で対応していたら、違ったのになあと思う。
わたしは迂言法というレトリックが好きだ。「一定の形で紙につけられたインクの染み(=文字)」のような。そういうレトリックを使う余地が、日常には案外ある。
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