愛されること、愛すること
2日ぶりの更新。
仕事復帰したり外出が増えると、帰宅したら疲れてしまっていてね、「文章書くか〜!」っていう気になかなかなれないのよね。。まぁもともとは気が向いた時に投稿するって言ってたわけだし、そんな気合入れて毎日のように投稿しなくていいんだけど。肩の力抜いていこ。
そんでタイトルの「愛されること、愛すること」。昨日久しぶりに出勤して、休憩時間に瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」を読み終えたんだけど、その時にこれについて書こうって思ったの。・・・この本すごく良かったよ。
私はね、愛されることと愛することが苦手なの。人に対して。どうも「愛」っていうのは「終わりあるもの」って認識をしてしまう。血の繋がった人はまた別なんだけど、そうじゃない他人からの愛はどうしても裏があったり、いつかは消えて無くなってしまうものなんだろうな、って愛に期待してない。
それは多分、自分に自信がなくて、自分は特に誰かに愛されるような価値のない人間だ、ってどこかで思っているから、他人の愛を信用できないんだと思う。いやぁ、何か愛に対してトラウマがあるわけでもないのに、いつからこんな可哀想な人間になったんだ。。。笑
でもまたその一方で、他人からの愛を感じるとすごく感動するの。・・・意味わからないよね。例えば、「出会えて良かったよ」とか「一緒にいると本当に楽しい」って言ってくれたり、私のためにわざわざプレゼントを用意してくれたり、時間を割いてくれたり、何かと気にかけて連絡をくれたり。どんなに小さな愛でも、それが女の子からでも男の子からでも、心から嬉しいというか、感謝すべきことというか、そんな風な気持ちを私なんかに向けてくれる人がこの世には存在するんだなぁ、って泣きそうになる。
大袈裟だけど、相手にとっては「いや全然そんな大した思いじゃないし、周りに気を配るのは当たり前でしょ、あなただってその中のただの1人なだけですけど・・・」って気持ちだろうけどね。それでもね、すごいなって思うのよね。
何が言いたいんだろう。うーん。そう、私は愛を受け取るのが苦手。嬉しいのに、それを上手に享受できない。同じくらいの愛を返したいのに、それが上手くできない。25年間も生きてるのに何でだ〜。愛を与えられる人になりたい。
結局は自分が傷付くのが怖いんだろうな。同じように愛を自分なりに返した時に、「えっ、そんなつもりなかったんですけど。そんなことをされてもちょっと気持ちにはお応え出来かねますが・・・」みたいな反応をされたらどうしよう、とか思っちゃうんだろうな。だから、深い関係にならないように「まぁ、仲良いぜ」ポジになって「これ以上はちょっと踏み込まないでくださいね」って壁を立てる。よく言われる。すぐ壁を立てるよね〜って。ずっと自分ではそういうつもりないよーって思ってたけど、最近はその意味が理解できる。確かに私は絶対に人に開けない網戸みたいなものを設けてるなって。
それを、その軽いようで錆でガチガチになった網戸を開けようと思える人がいつか現れるのかな。いや開ける努力をしないとな。んー、努力、それはまた違うような・・・。この網戸の中にいる私とも仲良くしてほしいな、この人になら愛を恥ずかしがらずに伝えたいな、きっと何のしがらみも無く受け取ってくれるだろうな、そう思える人に出会えたら。いいな、なんて。
愛されること、愛すること。
すごく難しいけど、頭で考えれば考えるほど難しいものであって、考えない方が案外上手くいったりもする。理屈じゃないんだろうなぁ。その時の直感というか。思い切りとか。相手を傷付けるかもしれないっていう不安は、相手を傷付けることによって自分が傷付くのが嫌なだけだったりして。考えすぎなんだってね。
自分本意に、生きるのも、アリなのかもなって。
いいなと思ったら、言葉にする。
愛してみる。
自分を愛して人を愛する。
今の課題かな。
おわり。
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