「とりあえず」の癖から見えたもの②
私の癖の「とりあえず」から気づいたこと
それは、とりあえずの先の目的が明確でないということ。
私はなんのために囲碁をしているの?
みんなの囲碁やってすごい気付きや奥深さの話しを聞き、囲碁体験をした。
一回の体験で囲碁の奥深さや自分の奥深い心の気づきなどを知れた。
囲碁のイメージの変化と共に
私も囲碁を通して変わりたい。
と思い、スタートした。
学ぶ中でもう1つの目的が出てきた。
それは、
囲碁セッション出来るようになりたい。
ということ。
囲碁をしていくうちに、自分がなぜ養護教諭を志したのかを思い出すことがあった。
私が養護教諭を志した理由
学校生活や家庭生活の中で不安に思ったり悩み事だったり心配な事があるけれど、それを表に出せない、言葉に出来ない子どもたちを救いたい。
子どもたちの小さなサインに気づいて手助けしたい。
そんな子どもたちの居心地のいい・安心できる空間をつくりたい。そんな思いからだった。
今、大人と関わることが増え、自分の思っていることを相手に伝えることが苦手な人が多いことに気づいた。
もちろん、それぞれの関係性などもあると思うが…。
しかし、それが壁となり子育てだったり、夫婦関係などにいきづまりや悩みを感じている人が多いと思った。
(それにも気づいていない人が大半だろうが。)
自分の気持ちを伝えられないのは、子どもだけでなく大人も同じなのだと。
そう思ったら私、学校ではなく街の保健室の先生みたいな存在になれたらと思い始めた。
悩める人の言葉にできない面を少しでもサポート出来るようになれたら。
どこでつまづいているのかを一緒に探したりサポートできたら。
そんな人たちの居心地のいい場を提供できるようになれたら。
と思い始めた。
(これは、かなり遠い未来の目標だ)
そのために、今、私はコツコツと人生さんや仲間たちとさまざまな学びや気づき・刺激を受けながら過ごしている。
(囲碁を通して私も少し変われてきているから)
ここで
「私が囲碁を学ぶ理由…。」
それは
・自分自身が変わりたいから
・囲碁セッションできるようになるため
(自分の思考の癖に気づいてその癖もわかった上で物事を考えられるようになりたい。
いろんな人の思いや考え方を理解できるようになりたい。)
今の私は、自分の枠の中で物事をみている。この枠を広げたい。
そんな思いからだ!!
ここまでお付き合いいただきありがとうございました😊❤
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?