にじさんじAnniversary Festival 2021について―最近のイメージとのずれ―
はじめに
先日、Vtuberグループ『にじさんじ』の3周年を記念するお祭り(以下「Fes」)が行われた。結果としては非常に盛況を博したものとなり、1ファンとしては非常に喜ばしいことだった。
そのなかで、最近の『にじさんじ』のイメージとずれる(と私が勝手に思っている)部分があると感じたので、メモがてら投稿しておく。ただし私は必ずしもすべてを見ていたわけではなく、かつ有料パートはもろもろの都合で一切視聴できていない。また現状の『にじさんじ』を必ずしも広く理解しているわけではなく、多分に主観と浅学からくる誤謬があることを最初に断っておく。
最近の『にじさんじ』―停滞イメージ―
最近の『にじさんじ』のイメージを一言で表すなら「停滞」である、と私は考えていた。
単純に配信の頻度低下、ライバーの数値的な伸びの鈍化、それに関わって、『にじさんじ』というブランドが相対化された関係で、『にじさんじ』自体が1年前ごろまでの大きなウエイトを占めなくなったというのが大きいだろう。
ただ別に推しの配信頻度が低下しようが何しようが、私は単純に好きだから『にじさんじ』が生み出すコンテンツを見続けていた。ただやはり、一時期ほどの進み続ける感覚、なにかワクワクするような感覚は薄くなった。慣れもあるだろうが、今はどちらかといえば「日常生活」として配信を見ているという感覚になっている。
このような推進力の推進力の低下と私個人の中の日常化が合わさって「停滞」というイメージを私は持っていた。
「Fes」でのイメージ―大躍進と、食品フェス?―
ただ、「Fes」でのイメージはだいぶ違った。パートごとに雰囲気が違うので一言では表しづらいが、あえて2つに分けるなら「躍進」と「食品フェス」だった。
まず1つ目、「大躍進」だが、これに関しては恐らく配信の頻度を減らしたりしていた理由が一気に爆発したような感じだろう。詳細はどこまで書いていいかわからないので伏せるが、あれだけ新規が入ったのはあまりないのではなかろうか。
今回の躍進は、長いスパンで見ると、右肩上がりに進歩するというというよりは、段階が1つ上がるというような躍進の仕方だったように感じられた。リアルイベントに傾斜気味の現状を考えると、このような躍進の仕方が、今後の視聴者側の受け止め方になるのかもしれない。
2つ目の食品フェスだが、これは完全に主観である。というよりいいたとえが思い浮かばなかった。それぞれのライバーがひとつずつ短いパートを受けおいつつ、連関しないテーマについて講義をする。内容もためになりつつそれほどヘビーではない。このようなあり方が、有名な食品を全国各地から集めて出店を出す食品フェスみたいな感覚があった。
このようなあり方はまさに頭数が多く様々なバックグラウンドを持つにじさんじライバーの面目躍如といった感じだが、これは今までの企画ものではあまり見られなかったものではないだろうか。『にじさんじ』で企画というと、にじ甲や麻雀にじさんじ杯などが挙げられるが、これらの特徴は何かひとつの目的に向かって進むというようなものが多かった。ただ今回の企画は個々のテーマごとに完結している感が強かった。
ここで指摘しておきたいのは、このあり方は過多気味のライバーをすべからく生かす方法のひとつを『にじさんじ』が見つけたということだ。ライバーにも当然向き不向きがあり、従来型の企画だと埋没気味の人間もいた。それをそもそも個々別々の内容について提示することで、それぞれの得意をおしだしてみせることができるようになったといえる(さすがに言いすぎか)。
おわりに
以上本稿では最近の『にじさんじ』に対するイメージと「Fes」でのイメージのずれがあることをつれづれなるままに書いてきた。
私も必ずしも全体を追い切れているわけではないので、主観に頼らざるを得ない部分が多々あったが、1ファンのひとつの受け止め方としては十分ありうる範囲に収まったものと考えている。
本稿で示したことは大きく2つである。
ひとつは『にじさんじ』の躍進の仕方が右肩上がりから段階差となったように視聴者には見えるようになったということ。
いまひとつは『にじさんじ』の企画としては新しい形式の「Fes」では、埋没気味だったライバーをある意味競争的環境から離し、それぞれの輝ける部分で起用する方法のひとつを見出す結果となったということ。
後者は最近のイメージで書いた部分とずれるが、少なくとも停滞の二文字が似合うような状況ではなかった。前者については、『にじさんじ』の躍進が、視聴者からは、結果が出るまでが長く、かつ大きく動くように感じられるようになっていくという見通しをたてた。
この結果からは、『にじさんじ』というコンテンツが、今までのような応援した分だけ数字が大きく伸びる、3D化するというような直感的な楽しみ方から徐々に変化してきたということが言えそうである。
この変化に対応するかどうかは個人の勝手だが、それに乗る場合、コンテンツ自体がどういう方向性に向かうか、それぞれに想像しながら見てみると、今までとはまた違った楽しみ方ができるようになるかもしれない。
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